「台胞証」は正式名称を「台湾居民大陸往来通行証」といい、1987年の両岸の往来再開以来、大陸へ入境する台湾住民に発給されている旅行証明書であり、両岸交流の20年間、台湾住民が大陸に滞在する際の身分証明書の役割も果たしてきた。今年9月7日に国務院台湾事務弁公室は「台湾民衆の大陸での関係手続に便宜を図るため、今年9月25日より、台胞証番号の『1人1番号、終身不変』制を実施する。10月20日より、現有の11都市に加え、北京、南京、重慶、杭州、桂林、深センの6都市でも台胞証のランディング・ビザを発給する」と発表した。小さな台胞証に関する大陸のこの新政策が、大陸在住の100万台湾住民の関心を再び集めている。
■80年代:台胞証のため空港で夜を明かす
1987年より前は、台湾が台湾住民の大陸渡航を「不法」と見なしていたため、大陸も台湾当局発給の「パスポート」を認めず、このために台湾住民が親戚訪問、視察調査、ビジネスのため大陸に渡航する際は、別の証明書の申請が必要だった。親戚訪問、観光の解禁後も、最初の数年間は非常に面倒だった。当時の台胞証は1回のみ有効だったため、費用と時間がかかり、入境半月前に申請する必要があった。緊急事態が起きた時も、台湾住民は往々にして門を閉ざされた。当時香港の啓徳国際空港では、夜を明かして台胞証を待つ人々の姿がよく見られた。
ただ面白いのは、当時台胞証を持っていると、大陸で「特恵」に浴したことだ。台湾住民は香港・澳門(マカオ)市民、華僑と同様に、台胞証を持って政府指定の店へ行き、海外の人々専用の「外貨兌換券」で外国製の三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)や五種の神器(掃除機、ジューサー、電気炊飯器、電子レンジ、アイロン)を、親戚などへの贈答用に買うことができた。
海外の人々のみが買えるこうした輸入製品は、大陸の一般の民衆には手の届かぬもので、上海、北京、広州でも価格に大きな開きがあったことから、台胞証は「非凡な社会的地位」と化し、大陸に投資し、工場を設立するための「最初の資本金」をこれによって蓄積した台湾ガイドすらいた。1994年に大陸が外貨兌換を撤廃すると、海外の人々の待遇で「三種の神器・五種の神器」を購入できる台胞証の「特恵」も消滅した。
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