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改革開放30年、わが家の「3種の神器」の変遷
発信時間: 2008-10-17 | チャイナネット

わが家の「3種の神器」の変遷は、社会の絶え間ない進歩と発展を記録している。とくに改革開放30年来の人びとの生活の大きな変化を反映している。

50年代――腕時計・自転車・ラジオ

「梅花」ブランドの腕時計

「飛鴿」ブランドの自転車

今でもよく覚えているが、50年代後期に流行したのは、腕時計と自転車、ラジオだった。誰かがこの3種の神器を持っていると、みんなが目の色を変え、羨ましがったものだ。わが家が国産ブランド「パンダ」のラジオを買ってきたのは1957年のこと。中古品であっても、一家全員うれしくてたまらなかった。仕事を終えて戻ると小さな腰掛けに座り、スイッチを入れ、全国のニュースを聞く。とくに、いつでも党中央や毛主席の声を耳にできた喜びは今でも忘れられない。しばらくして、時間を知るために、衣食を節約して古いスイス製の腕時計を買ってきた。その後、中古品市場で30元を出して、ガタガタの自転車を購入。こうして最初の3種の神器の夢はかなった。

60年代に入り、3年におよぶ困難な時期をようやく乗り切ったかと思うと、生活用品は極端に不足し、どこにも長い列ができていて、必要な物が手に入らない。3種の神器の世代交代を求める夢は「水のなかの月、鏡のなかの花」となった。

70年代――洗濯機・ミシン・カメラ

「飛人」ブランドのミシン

70年代末期、改革開放の推進で、人びとの間に消費意欲が出てきた。この時代、求められたのが第2世代の「3種の神器」、洗濯機にミシン、カメラだ。わが家ではまず生活必需品の洗濯機とミシンを購入。高校生の子どもがせがむものだから、しかたなくインスタントカメラを買った。カメラを持って農村の実家に戻り、生涯写真を撮ったことのない老いた母を撮ると、相好を崩して、改革解放はすばらしいと連発したものだ。

80年代――冷蔵庫・カラーテレビ・ビデオカメラ

「北京」ブランドのテレビ

改革開放が進むにつれ、人びとの収入は著しく増加。80年代に入ると、家庭を現代的にしようと、「3種の神器」は冷蔵庫にカラーテレビ、ビデオカメラに代わった。当時、わが家では4人が仕事をしていたが、給料は1000元未満。タバコや酒をやめ、食事や雑費を切り詰めつめる「5カ年計画」を立てて貯金をし、ようやく第3世代の「3種の神器」の夢をかなえた。

90年代――携帯電話・エアコン・オーディオ

90年代。社会主義市場経済が確立、発展するにつれ、人びとの生活は急速に豊かになり、家庭では現代化がさらに進み、携帯電話にエアコン、オーディオが第4世代の「3種の神器」に。このとき、わが家の1人あたりの年収は「万元戸」(80年代には一部の農村で年間収入が1万元に達した農民もいた)。それほど無理することなく、2年以内に第4世代の「3種の神器」の夢をかなえることができた。

21世紀――マンション・コンピューター・マイカー

新世紀となり、ハイテク発展の新たな時代を迎えるに伴い、家庭の消費もハイテク化し始めた。3種の神器はより内容の充実した、より新しいものへと、マンションにコンピューター、マイカーが求められるようになった。さきおととし、銀行から十数万元の融資を受け、110平方メートルの3ルーム・2リビングのマンションに移り住んだ。退職後、すぐにコンピューターを買い求め、半世紀にわたる執筆活動をなぞりながら、これで「一線を退く」ことにした。だが、乗用車については、贅沢な想いは抱かなかった。昨年の春節(旧正月)に家族が集まったとき、雑談しながら第5世代の3種の神器の夢を実現したい、ともらしたのを耳にした息子は、暗に私の気持ちを確かめながら、ねずみ年の今年の春節、ニューモデルのサンタナを贈ってくれた。私の夢はかなった。

わが家は5世代にわたる3種の神器の夢をすでにかなえた。この「3種の神器」は改革開放で人びとが恩恵を受けたことを反映するものだ。(山西省 張秀章氏)

「チャイナネット」2008年10月17日

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