▽新たな交通手段に淘汰された自転車
しかしながら、不断に高まる生産能力、さらには郷鎮企業の勃起などが徐々に自転車が「高級品」だった時代を変え始めていた。
「その後、工場の利益はどんどん下がっていきました。給料は下がり、時には給料が貰えないときもありました。1週間のうち3日だけ出勤して、4日休むこともありました。夏の高温手当てもなくなり、暑い日には工場は電気代を節約するので、自宅に帰って休んでいました」。陶信解さんは振り返る。
陶さんと同じく、自転車工場に勤めていた多くの人々がリストラに遭い、他の職を求めざるを得なくなった。「1995年までには、40歳以下の社員はみな退職となりました。ベテラン社員だけが残ることになったのです」。陶信解さんは語る。
永久・鳳凰などといった老舗自転車ブランドの輝かしい時代も、人々にとって永遠の記憶の中の存在となっていった。同時に、人々の生活水準が不断に向上し、自転車は徐々に新たな交通手段に淘汰され、自転車は「不要」なものに化していった。「自転車を買うことはもう自慢でも何でもなくなった。今では農村でも多くの人がオートバイに乗っている。豊かな家庭ならマイカーだって買うことが出来る時代です」。52歳の上海市民・張建民さんは語っている。
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