抗日英雄白乙化の卒業証明書
白乙化烈士の彫像を囲んで小学生たちが指導員から抗戦英雄の革命業績を聞いているところ
「北京晨報」より。
密雲県石城郷河北村、ここで1人の伝説の人物が生まれた。彼は歩兵銃で日本軍の飛行機を撃墜し、その勇敢さで「小白龍」と呼ばれ、敵軍から恐れられていた。抗日戦争時、北京地区で犠牲となった中国軍の最高位の指揮官 白乙化、彼である。
この伝説の人物は、7歳で入学、10歳で詩を書き、北平中国大学を卒業、19歳で共産党に入党した。体格がよく、人物も優れ、輝かしい戦功を打ち立てた。東北抗日義勇軍を指揮した経験もある。この時代に八路軍で数少ない文武両道を備えた指揮官の1人であった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年6月23日