今、日本は正に桜満開の季節を迎えている。年に一度の開花はいつも慌しいもので、桜がまるで道行く人に、「花を咲かせたけれども、もう散ってしまう」と泣きながら訴えているようである。毎年、桜が散る頃には必ず大雨が降り、ある時は雷が鳴り、突風が吹き荒れ、空一面に雨粒に混じって桜吹雪が舞い上がり、雨粒なのか花びらなのか分からなくなるほどになるため、桜が「鳴きながら訴えている」ように感じる。
桜の散っていく慌しさに比べ、毎年の立春の日は実に静かで、賑やかなお祭り騒ぎもなく、桜が咲き乱れていた頃の鮮烈な光景を想像できないほどだ。
立春の前の日は節分で、日本では豆まきをする習慣があり、自分の年齢と同じ数だけの豆を食べて厄除けや長寿を祈願する。大豆は畑から採れるため、この行事は農家にこそ似つかわしく、現代社会のITブームとはマッチしないように感じる。今年、神戸市内の神社で豆まきの儀式に参加する機会があったので、その時のことを紹介したい。
豆まきは行事の一つであり、本殿の外に舞台が設置され、紅白の垂れ幕が掛けられており、風に揺られて穏やかな心地よい雰囲気を漂わせている。思えば昨年の3月11日、日本は前代未聞の大地震と津波に見舞われ、原発事故も未だに収拾がつかず、社会全体がいつもよりも暗い雰囲気に覆われていた。しかし、伝統行事となると、人々はいつもの平静さを取り戻し、大災害があったことを感じさせないほどである。この雰囲気は豆まきでも感じる事ができる。豆を撒く巫女さんであれ、ご当地の有名人であれ、皆落ち着いた表情を保ち、笑いすぎず、声も大きすぎず、豆を撒く方も拾う方も同じような動きで、マスゲームを見ているようだと言っても過言ではない。
豆まきと聞いて、「撒く」からには「取り合い」があるはずだと思っていた。そして、「取り合い」こそ祝い事の全てであり、人々がお祭り騒ぎや取り合い合戦をして、思いっきり笑い楽しむ事ができる。しかし、実際に私が体験した豆まきに限って言えば、行事全体が静かに進み、誰も撒かれた豆を取り合うことはなく、皆動かずその場に止まって、豆が降って来るのを待っている状態だ。
春が来たら、人々の笑顔も戻ってくるはずだが、奇妙なことに「豆まき」のような春を迎える御めでたい行事でも、日本人はサラリーマンのように表情がなく、格式ばっており、恭しい丁重な態度を崩す事がない。神社の人に「どうして、みんなあまり笑わないのか」聞いてみた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年4月16日