カメラを持った観光客が散らばり、プラハの夜は市民の娯楽の場に戻った。人々は街を歩き、露天の小さなバーで照明とビールに囲まれて1日で最もリラックスした時間を過ごす。
しかし私は旅人であり、カメラを手放すことはできない。ある場所で一夜を過ごすより、プラハの隅々まで行き、その様々な姿を目にしたい。
城がライトアップされるまで、私がヴルタヴァ川のほとりで静かに過ごしていると、犬の散歩をする年配女性と自転車に乗った青年が通り過ぎた。波のない川を見ると、城の美しい曲線が逆さに映っていた。日が沈む頃、天にかかる空母のような城が突然私を照らした。青いビロードのような穏やかさと天幕の中に、美しく、なんとも言えない静けさがある。
ライトアップされた石畳の道路を沿って旧市街を歩くと、喜びに満たされる。露天のバーやカフェ、レストランが旧市街にひしめき合っている。夜のプラハに昼間のような童話の雰囲気がなく、バーの光の曖昧さがあるのは当然である。プラハの人たちはここで時間を潰し、酒を飲み、会話し、議論し、恋愛して楽しむ。
石畳の道路を歩きながら時間が過ぎ、プラハの美しさが目の奥に蓄積されていった。旅人に風景は欠かせないものだが、風景にとっては通りすがりの人に過ぎず、再び会うことも想うこともない。私はプラハを愛する者の1人になりたいと思った。自分のことを覚えていなくても、離れた後にたまに思い出し、最初に見たときの姿を忘れないようにしたい。