「司令官」かつ「政治委員」
「何年もたったが、私たちはまだ彼女のことを“小厳”と呼んでいる。彼女は“司令官”でもあり“政治委員”でもあるんだよ。」地下鉄運営公司の同僚たちが厳嬋琳のことを語る時、意気盛んな彼女ではあるが、同僚にとって印象深いのは、彼女には優しい一面もあることだ。
厳嬋琳がこの職場へやって来た時、「ベテラン」たちは、まだ小娘ともいえる彼女を見下していた。「役職に就けるような実力があるわけがない。」彼女は、こうした批判を気にも留めなかった。行動をもって示すのみだ。彼女はさらに、同僚たちの仕事への意欲にも十分注意を払った。毎年正月には、年賀状を従業員の家族へ送った。同僚たちの間が上手くいかなくなった時、彼女はその現実から目を背けようとせずに積極的に間を取り持ち、問題を解決した。さらに、彼女は忙しい仕事の合間をぬって従業員の家庭を訪問さえした。
仕事もやらなければならない、職員の生活上のことも気にかけなければならない。ある職員の家庭で問題が起きた。夫婦はけんかしてばかりだった。厳嬋琳はそれを知り、進んで彼らの間の橋渡し役となった。ある時など一時間も電話で話し続け、口が渇ききってしまい、電話を切ってから一気にコップ三杯の水を飲んだほどだ。結局、夫婦は仲直りをし、一緒に彼女の元に感謝の言葉を述べに来た。
厳嬋琳は、自分自身が優れた党員であるだけでなく、周りの人々にも良い影響を与えた。このような管理能力を持つ彼女のことをいつしか周囲の人々が認めるようになったのも当然だろう。いつしか、同僚たちは「彼女は全くもってすごい女性だよ!」と言うようになった。