私と中国の物語

私と中国の物語。

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発信時間: 2015-02-28 10:24:59 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

成田空港国際線旅客出口で、私は呉冕さんの到着を待っていました。上野行き京成線電車は、21時49分が最終です。すでに21時35分です。やっと呉冕さんが出口から現れました。「呉さん、急いで」と私の甲高い声。キョトンとする呉さん。「末班車就要往上野開。沒有時間。着急吧」と私は呉さんに成田空港駅へ急ぐように促しました。2人で終電車に急いで乗り、落ち着いた後、ゆっくりと私は、呉さんを迎えに来た理由を中国語で説明しました。呉さんがQQで送ってくれた旅行計画書では、深夜、JR線利用で新宿へ行き、新宿から日本橋へ行くことは無理だと言いました。

この呉さんは、日中友好文通の会へ日本人の筆友を紹介して欲しいと連絡して来ました。ちょうど呉さんと同じ年頃の日本人若者がいなかったので、私が「筆友を紹介するまで、しばらく待って欲しい」と、私は手紙で呉さんに連絡しました。それ以後、呉さんは、時々私にメールを送ってくるようになりました。そして、初めての外国旅行、初めての日本へ日本語が一言も話せないのに単身で来るとのことです。私は不安になり、成田空港へ迎えに行きました。

来日したその年の9月、呉さんは江西師範大学国際教育学院日本語科に入学しました。入学直後、日本語を一言も話せなかった呉さんは、1年後、QQを利用して私と話す時、ほぼ完ぺきな日本語が話せるまでになりました。QQで話すと、呉さんとは話に花が咲き、日本語会話が深夜にまで及ぶこともしばしばです。そこには、呉さんの日本語に対する熱意と学習集中力がありました。そして、自分の眼で見た東京、京都、大阪が頭の中に入っています。8日間の単身日本旅行でしたが、英語を駆使して、一人で新幹線に乗り、関西まで足を延ばしました。特に困ったこともなく、日程を消化した呉さんは、日本を好きになりました。

マスコミ報道や漫画アニメ等で知る日本は、日本語を勉強する上で一抹の不安があります。特に過去の歴史や日中関係が日本語学習に影を落としています。しかし、日本を体験した呉さんには、日本に対する確たる視点があり、そのことが、日本語学習を楽しく感じ、日本語レベルもかなり高くなった一因です。

私もそんな呉さんの日本語学習を幇助したいと思い、時間があると、QQで話しています。呉さんは当然のように、将来日本留学を視野に入れています。それだけに、日本語にいっそう熱が入るようです。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年2月28日

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