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1950潤オ60年代の人力車隊。 |
60年前の中国では、外出も切符購入も、汽車にのるのも難しく、出かけたいと思ったら歩いてゆくしかなかった。当時、都市の一般庶民が外出するには基本的に歩くか馬車、ロバのひく車でだった。1970年代になると、歩く代わりの交通手段が公共バスや自転車になり、中国は「自転車天国」と呼ばれた。都市でさえそうなのだから、農村ではさらに不便で、出かけて長距離バスを待つ時のじれったさは、多くの人にとって思い出したくない過去の記憶だ。
現在、我々は活気に満ちた現代的な都市の中で、様々な交通手段を目にすることができる。世界トップクラスのブランドの車が何気なくそばを走りぬけ、公共交通の路線は大幅に増加し、公共バスにも2階建てバスが登場した。タクシーは手をあげればすぐに停まるし、自家用車は驚くべきスピードで増加している。農村でも、公共バスは次々と家の近所まで来るようになり、タクシーを呼ぶのも難しくなくなった。
「外出」の変化を振り返ると、生活の質の向上と概念転換の道筋を実感することができる。
建国初期の1950潤オ60年代、中国各地では交通が極めて不便で、人々の外出は基本的に歩くことが頼りだった。物資の交流は人力や馬力を頼りとし、当時は馬車が最も有力な交通機関だった。
「人民網日本語版」2009年9月11日
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