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「世界ウイグル会議」とラビア・カーディル
発信時間: 2009-07-08 | チャイナネット

 

ラビア・カーディルとダライ・ラマ

ラビア・カーディルは1951年、新疆維吾爾(ウイグル)自治区・アルタイ山脈ふもとの阿勒泰(アルタイ)市で生まれ、14歳で自治区南部へ嫁いだ。「文革」中に前夫と離婚。1981年、ラビアは現在の夫、札付きの分裂分子と再婚した。

1980年代以降、ラビアは商売を開始した。ラビアは脱税、申告漏れ、あらゆる悪事など不法手段を用い、富をむさぼった。ラビアは阿克達工貿公司およびラビア公司の法定代表を務めた間に、総額480万元以上を脱税した。ラビアはラビア・ビルの賃貸、販売過程において、大量の顧客を騙した。ラビアは90人以上の顧客に起訴されており、一部顧客は各種ルートを通じ、現在もなおラビアに対し債務返済を迫っている。

2000年、ラビアは刑法に触れ、国外へ不法に国家機密と情報を提供した罪で、実刑8年、政治権利剥奪2年の実刑判決を受けた。

服役期間中、ラビアは病気のための一時出所を申請、人道主義的配慮により、司法部門は申請に同意した。2005年、ラビアは出獄し、米国へ治療に向かった。ラビアは出国前に政府に対し、出国後には絶対に中国の国家安全に危害を与えるいかなる活動にも参与しないことを保証した。しかしラビアは米国到着後、ただちに声明を発表し豹変した。

2005年8月、新疆維吾爾(ウイグル)自治区共産党委員会の王楽泉・書記は国務院記者会見の席上、ラビアは出国後に変貌し、国外でテロリズム、分裂主義、過激主義の主導者、さらには暴力テロ犯罪の中核分子と共に、各種中国分裂活動を密謀するようになったと述べた。さらに、中国国内に在住する子女に対し国内資産の形を変えるように指示、各種手段で国外に持ち出したほか、子女の国外定住申請手続も行った。

2006年、ラビアは「世界ウイグル会議」第2回代表大会でリーダーに選出されている。

「世界ウイグル会議」は2004年、ドイツ・ミュンヘンで設立された。同年、国外「東突(新疆独立運動)」組織が同じくドイツで連合大会を開催、「東トルキスタン民族会議」と「世界ウイグル青年会議」が合併し、「世界ウイグル会議」が誕生、「東トルキスタン」人民の最高利益を代表すると声明、表面上は「人権、民主」を掲げているものの、実質的には「東突」テロ組織と無数の連絡関係を有し、長期にわたり国外で各種反中国分裂活動を組織してきた。

「世界ウイグル会議」リーダーに選出された後のラビアは依然として米国に在住、主にワシントンで活動した。しかしラビアはドイツならびに北欧諸国にも常に訪れている。ダライの西側での影響力を羨望し、「世界ウイグル会議」サイト上で、「東突」分裂分子はラビアを「ウイグル人の精神の母」と持ち上げている。

欧州で長年にわたり業務を行ってきたある中国人専門家によると、ラビアはここ数年、西側当局者との接触を少なからず試みている。ダライが米国に訪れた際、ラビアもダライに面会した。

中国社会科学院新疆発展研究センターの馬大正・主任によると、ラビアは出国後、「東突」分裂組織および西側反中国勢力と共に、「第2のダライ」となる過程を開始している。

今年に入り、「世界ウイグル会議」は米国で「第3回総会」の開催を準備し、米国国会一部議員と米国家民主基金会(NED)からの支持と資金援助を受けている。ラビアはこれまでに、「第3回総会」で新中国成立60周年記念活動を重点目標とした凄惨な破壊活動を計画するよう述べているほか、「新疆独立50年3ステップ」計画をでっちあげ、はばかりなく新疆に対しデマととばし、頻繁に国外メディアの取材に応じ、中国の人権状況を攻撃し、「新疆独立」などを扇動している。

「人民網日本語版」2009年7月8日

 

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