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中国駐ニューヨーク総領事館の チベット族の領事がダライラマの正体を暴く |
発信時間: 2008-05-06 | チャイナネット |
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中国駐ニューヨーク総領事館のチベット族の領事リンチェンロセ(韋剛)氏は5月2日、中国駐ニューヨーク総領事館で催された中国語メディアの座談会で次のように語った。 西側メディアのいわゆるダライラマは「精神的リーダー」であるという言い分はまったく誤った誘導の仕方であり、ダライラマは実は従来から「チベット独立」の主張を放棄したことのない政治的人物である。 1963年に「チベット亡命政府」が公表したいわゆる「憲章」草案は、1991年に再度改正され、改正後の「憲章」は今一度、チベットは「独立国」であり、この「独立国」のすべての実務はいずれもダライラマの認可を経なければ発効しないことをはっきりと規定している。ダライラマのオフィシャルサイトで公表されている「未来の政体草案」はそれぞれ「政権の創立」およびどのように「国連と関係を樹立する」のかなどの問題について画策をおこなった。これらの事実は、ダライラマの自分が従来から独立を求めたことはないという言い分が全くのウソであることを示している。 ダライラマは自叙伝の中でも、自分の最も主要な役割は俗世間のものであり、「チベット亡命政府」のリーダーであると言明している。西側メディアは長期にわたってダライラマは「精神的リーダー」だけであると称し、このような言い分は誤ったものであり、事実に合わない。 四川省カンズェ地域チベット族自治州雅江県に生まれたリンチェンロセ氏はかつて四川省チベット学研究所所長を務めたことがある。2時間余りにわたる座談の中でリンチェンロセ氏はまた、チベット仏教とチベット文化の関係、ダライラマがチベット仏教の唯一のリーダーであるかどうかなどの問題について、自分の見解を詳しく述べた。氏は、長い間人々の間はこれらの問題について認識面での誤解が存在していたと強調し、さらに次のように語った。 チベット仏教にはゲルク派、サキャ派、カルギュ派とネイマ派の四大教派および多くの小さな教派があり、これらの教派の勢力は歴史上中央政府からバックアップされた態度の違いにより、それぞれ成長するか衰退することになった。ダライとパンチェンの所在するゲルク派は清(1616-1911)の後期に中央政府のバックアップを受けたため、優位的地位を獲得するとともに、政教合一の体制が形成された。その期間にゲルク派のその他の教派に対する打撃と抑圧もあったが、ダライラマが終始チベット仏教に対する統一的な指導を形成したことはない。 彭克玉総領事は座談会で、多くの西側メディアは中国とチベットの問題に対し全面的に理解しておらず、特に先般のメディアが伝えたダライラマがニューヨーク州で取材を受けたことについての記事は、事実とはるかにかけ離れている意を表明し、「無知は恐ろしいものであるが、偏見は無知よりさらに恐ろしい」と語った。 これはラサの「3・14」暴力事件発生後に、中国駐ニューヨーク総領事館が催した第3回メディア座談会である。 リンチェンロセ氏は4月23日に催された第2回メディア座談会で次のように語ったこともある。自分はチベット族居住地域に生まれ、チベット族居住地域で成長し、終始チベット族居住地域とのつながりを断ったことはない。自分はアリ以外の国内のチベット族が居住しているすべての地域にあまねく足を伸ばし、最も末端の農村、町、県ではいずれも仕事をしたことがあり、チベットとその他のチベット族居住地域の移り変わりを自ら経験し、みずからの目でそれを目撃した。そのため、チベットの現状については、ダライラマより自分に見解を発表する資格がさらにあると信じている。 リンチェンロセ氏は長期にわたってチベット族の歴史と文化の研究、『チベット族の民族のルーツに関する模索』、『チベット族文化の略史』、『チベット族の葬儀慣習と習俗の地方性と民族性』、『現代化とチベットの伝統文化との衝突』と『チベット問題の由来とその発展・変化』など数十篇の論文を発表したことがある。
「チャイナネット」2008年5月6日 |
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