ダライラマグループとそのいわゆる「チベットの人権」

japanese.china.org.cn  |  2008-04-28

ダライラマグループとそのいわゆる「チベットの人権」。

タグ:ダライラマ,人権,チベット,独立

発信時間:2008-04-28 10:22:03 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

一、歴史上におけるチベットの人権の発展を制約する要素

 

人権という観念はなんのわけもなく確立されたものではなく、それは経済社会の発展という基盤を離れることができない。歴史上、チベット地方の発展は長年にわたって停滞し、しかもチベットの発展に影響を及ぼし、停滞させた原因は比較的多い。1、自然環境の要素。それは主に次の3点が含まれる。(1)自然な生存条件が劣悪で、例えば海抜が高く、酸素が不足し、植生がまばらで、砂漠化が深刻である。(2)災害が多く、例えばあらし、霜害とひょう害、人間と家畜の疫病などの発生は比較的多い。(3)高い山々が立ちふさがっているため、外部との付き合いが難しい。2、歴史と文化の要素。チベット地方の経済社会発展の起点が低く、そして保守的な伝統的観念の影響を受け、特にチベット系仏教は来世を重んじ、現生を軽視し、精神を重視し、物質を軽視し、宗教を重視し、俗世間を軽視するなどの理念の影響を受け、数多くの優れた人材が寺院に集まり、髪の毛が白くなるまで仏教の経典の研究に没頭し、社会の生産と科学技術進歩の事業から離れ、社会の発展を促す中堅勢力となることができなかったばかりでなく、かえって社会に依りかかる階層となった。3、政教合一の封建的農奴制度はチベット地方の発展が長期にわたって停滞した重要な要素となり、人間の体を束縛し、人間の精神を固く締め付け、人間性を踏みにじる政教合一の制度は鉄のカーテンのようにチベット地方の発展の望みと人々の人権を追求する夢の前に立ちふさがっていた。このいくつかの要因が互いに関連し合い、影響を及ぼし合い、経済の発展、社会の変革、科学技術と文化の進歩を経なければそれを変えることができなかった。しかし、歴代の封建的な統治者とチベット地方の統治者はすべてこのような歴史的飛躍を実現する能力を持たず、彼らがかつてある程度の試みをおこなったにもかかわらず、最終的にはいずれも失敗に終わった。そのような経済・社会条件の下で人権を語ることは、弱々しくて力のないものに見える。

 

二、古いチベットの政教合一制度下のチベットの人権

三、ダライラマとその亡命グループにコントロールされている人権

四、ダライラマグループが「チベットの人権」を盛んに口にしている本当のねらい

 

 


 

 

二、古いチベットの政教合一制度下のチベットの人権

 

人権は社会経済の発展、文明の進歩と関係があるばかりか、階級性をもつものでもある。古いチベットでは政教合一の封建的な農奴制度の支配のもとで、すべての人に人権がないわけでなく、人権のある一部の人の数が非常に少ないだけであった。その時、人口の5%を占める非宗教的貴族、上層の僧侶と官吏たちはたいへんその体制下の「人権」に満足し、彼らは贅沢三昧でみだらであったばかりでなく、権勢をかさに着ていばり散らし、人口の95%を占める農民・牧畜民の死活を決める権力を握っていた。

チベット族の文字、漢族の文字による史料がこれらのことをたくさん記載しているばかりでなく、チベットに行ったことのある外国人さえも古いチベットの人権状況の極端な劣悪さを感じ取っていた。ベルというイギリス人は『13世ダライラマの伝記』の中で、「黄色の帽子をかぶった僧侶としてのラマ僧、黒い頭の非宗教徒の俗人たちの支配者」としての13世ダライラマは「名実ともの独裁者であり、……彼はヒトラーとムッソリーニに勝るとも劣らない。彼は彼ら(ヒトラーとムッソリーニ)のように弁舌の才にたけてはいなかったが、それよりも無限のラジオ放送(たとえラジオ放送という設備があっても)を利用して地位を保つことはできないが、彼は弁舌の才あるいはラジオ放送よりずっとひどいものがあり、彼は現生と来世の中で賞罰を行い」、お前たちを来世にブタまたは人間に転生させ、高官またはラマの高僧に生まれ変わらせることができるからである、と述べている。エドモン・カンドラ氏はその『ラサの真相』という著書の中で、「ラマ僧は皇帝の父のようであり、農民は彼らの奴隷である。……少しも疑いなく、ラマ僧は精神恐怖の手段を採用して彼らの影響を保ち、その権力を自分たちの手中に握り続けた」と述べている。チャールズ・ベル氏は『チベット誌』の中で、「チベットは今なお封建時代にあり、その貴族は大きな権力を握り、大きな勢力を持ち、貴族と僧侶が共に政府の重要な部署につき、その財産の巨大さも寺院に勝るものである。貴族は小作農に対し、封建官吏の権力を行使することができ、……役畜を没収し、罰金を課し、こん棒による刑を施行し、短期拘禁を行い、及びその他のすべての処罰をいつでも行うことができる」と述べている。デビッド・マクドナルド氏はその『チベットの写真』の中で、古いチベットの刑罰は非常に残酷で、「その最も普通の刑法の中では、すべての死罪に処せられたものは、皮袋にくるまれて川に投げ込まれ、それが水死して沈むのを待ち、……それがすでに死んだことが分かれば、その死体を皮袋から取り出して解体し、その四肢と躯体を川に投げ込み、川面に浮いたまま流れてしまう……」と書いている。フランスのチベット学学者のアレクサンダー・ダビ・ニール女史は彼女の『生まれ変わった新中国に直面している古いチベット』の中で、古いチベットでは、あらゆる農民はすべて一生借金を背負う農奴であり、彼らはまた過酷で雑多な税金と重い役務に苦しめられ、「人間のすべての自由を完全に失っていた」と述べている。ツォイビコフ氏は『聖地チベットにおける仏教の信者たち』の中で、「強大な僧侶勢力はすべてを管理しているが、しかし僧侶の地位も高低の違いがあり、天国と地獄のような異なる暮らしをしている。たとえ寺院の中でも、普通の僧侶もいつでも刑罰、ひいては死刑に直面している」と書いている。人々は上述のことからダライラマグループが描き出した「シャングリラ」の未来図を見抜くことができるではないか?古いチベットは明らかに農奴主たちの天国、農奴たちの地獄であった。

 


 

 

三、ダライラマとその亡命グループにコントロールされている人権

 

国外に亡命しているダライラマグループが代表しているのは依然として上層農奴主の人権と利益である。1959年3月、ダライラマグループは民主的改革を阻止し、政教合一の封建的農奴制度を守り抜くため、武装反乱を起こした。その年9月、武装反乱が失敗したためインドに逃げて去ったもとのチベット地方政府の官吏、貴族、その他のチベット族居住地域のトースト・部落長、上層の僧侶と武装反乱の首領は、インドのダランサラでいわゆる第1回「チベット人民代表大会」を開き、「チベット・ガシヤ政府」、つまりチベット亡命政府の創立を宣言し、いわゆる「チベット国憲法大綱草案」を発表し、ダライラマが政府首脳であることを宣言した。1963年10月に「チベット国憲法」(1991年の改正後に「亡命チベット人の憲法」と改称)を発表し、ダライラマを「国家元首」と称し、そのねらいは「チベットの独立」を実現することであった。

まず、彼らが実行しているのは依然としてダライラマ指導下の政教合一の神権独裁である。ダライラマグループのいわゆる「憲法」の中では、ダライラマは亡命政府の最高首脳であり、「政府のあらゆる職権はすべて無上に尊いダライラマに属する」、「政府のすべての職能はいずれもダライラマの名義で行う」と明確に規定されている。彼らが確立した体制は政教合一の農奴主独断体制であり、「三権分立」というラベルを貼り付けているにもかかわらず、「ガンタンポ印章」、「ガシヤ」、「ガシヤ官吏会議」、「訳倉」、「摂政」、「摂政会議」、「ガンタンチバ」、「三大寺院」、「ネチョン護法」などの政教合一の組織は全部保留されている。

その次に、この亡命グループは僧侶と非教徒農奴主が権力を握るという過去の形態を保つとともに、農奴主の利益を守っている。ダライラマグループはダライラマ一族を代表とする上層の僧侶と非教徒貴族から構成されたものであり、少数の人たちの利益しか代表していない。彼の一族のメンバーはすべてその政府の中で重要な部門を占め、そのうち、5人はガルン、首席ガルンとなったことがある。その他の貴族、例えばソカン、ユイト、ケモ、サンドゥ、パラ、ザントンなどの一族もガルンとダライラマの事務総長などの重要なポストをわが物とするとともに、職権を利用してずっと数多くの利益を占める機会をたくさん持っている。

3、一般の亡命チベット人は依然として奴隷のように酷使される地位にある。西側諸国に移住している少数の人たちを除いて、ほとんどの亡命チベット人は依然としてダランサラのスラム街に住んでおり、インドの国籍に加入できず、他人に頼り、言語が通じず、疎外感に悩むなどの苦しみをいやというほど味わっているばかりでなく、また亡命政府に「独立ための寄付金」などを納めなければならず、まったく人権があるとは言えるものではない。

4、ダライラマグループは全力を尽くしてチベットとその他のチベット族地域の人民の生存権と発展権を破壊している。ダライラマグループが裏切ってインドに逃亡してからの50年来、チベットの社会の進歩、人民の生活レベルの改善のためにいかなる有益なことをしたことがないばかりか、かえってチベットの各民族人民の権益を損なうことをたくさんやってきた。以前、彼らは武力で国境地帯の住民の生産と生活を撹乱し、ここ数年来、浸透して破壊活動を行い、更にはひどい暴力事件を画策し、チベットとその他のチベット族地域の人民の生命と財産の安全を直接脅し、正常な社会秩序をかき乱してきた。1987年~1989年のラサの騒乱および2008年3月14日のラサのひどい暴力事件は、チベット人民の生存権と発展権をぶち壊す彼らの卑劣な本質を再度裏付けるものである。

 


 

四、ダライラマグループが「チベットの人権」を盛んに口にしている本当のねらい

 

ダライラマグループが「チベットの人権」を盛んに口にしていることは非常に虚偽であるばかりでなく、下心のあるものである。昔の政教合一の農奴制体制のボスは、すっかり姿を変えて「チベットの人権」を盛んに口にすることに転じ、さらに中国政府と人民が人権を踏みにじっていると非難し、「チベット人民に人権はない」とデマを流し、甚だしきに至ってはまた西側の親分から「人権の闘士」という称号を授けられた。このことそのものはとりもなおさず古今東西で初めての珍事である。もしダライラマのこれらの言論が名実ともに備わるものであるならば、当然それを大いに称賛すべきであるが、事実はそのようなものではなく、ダライラマグループがさかんに騒ぎ立てている「チベットの人権」は、手法が愚劣であるばかりでなく、そのねらいはなおさら人に告げることができないものである。

中国共産党のチベット政策に対するダライラマグループの非難のほとんどは、うそとデマの基礎の上に築かれたものであり、1988年にダライラマが発表したいわゆる「ストラスプール声明」の中で、中国政府が「チベットの人権」を踏みにじり、チベットに人口を移住させたとデマを流し、ひいてはチベット地方でチベット族の人たちは少数となり、チベット人民に言論の自由がなく、彼ら(中国政府)によって代弁される以外にないなどなどと語っている。1955年にかつて招待に応じてチベットを訪れ、チベットの政教合一の農奴制度の状況を自ら体験したことのある『ロシア新聞』の先輩評論員のオフチェンニコフ氏は、14世ダライラマを「人権の保護者」と言いふらす論調は「きわめてでたらめなことであり、しかもきわめて恥知らずである」、「ダライラマには残虐非道な封建的農奴制度に対し逃れられない責任があり、ある人は彼を『人権の保護者』と言いふらし、中国共産党がチベットで漢民族化と人種絶滅政策を推し進めていると中傷している。これに類似した言論に3種類の中味――無知、恥知らず、あるいは私利のために公正を裏切ることしかない」と指摘している。氏の言葉はずばりと的を射るものであり、急所をついていると言えよう。ドイツのある週刊誌掲載の『これは別に人権と関わりはない』と題する署名入りの記事は、同様にダライラマグループの「チベットの人権」とがやがや騒いでいる急所を捉え、「これらの人たちは、彼らがチベットを支配していた期間にチベット人民の尊厳と人権を思う存分踏みにじっていたのに、今日は人権の保護者のつらをしている」、「彼らは西側の反中国の勢力の助けを借り、チベットを中国から分離させることをねらっている。ところが、今日の現実のもとで、彼らは大声で言い出せないため、やむなく『高度の自治』を要求することを通じてチベットの『宗教と民族文化』を守ろうと企てることになっているのだ」と述べている。これから見ても分かるように、キツネがどんなにずるがしこくても結局はしっぽを見せることがあり得、智者の慧眼を逃れることはなおさら難しい。ダライラマグループは装いをこらすことに優れ、口先でうまいことを言い、あらゆる技量を尽くし、手法もいろいろ変えているが、ずっと変わっていないのは祖国を分裂させ、「チベット独立」という罪悪的な夢を実現することである。西側の反中国勢力の道具としてのダライラマグループのこの幻想は最終的にはだめになることが運命付けられるものである。(作者の張雲氏は中国チベット学研究センター歴史所研究員)

 

「チャイナネット」2008年4月28日

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