李長声氏はまたこのように記している:「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は戦国三英傑とたたえられている。時代が英雄を生み、英雄が時代を生むと言われるように、信長が天下を取り、秀吉が天下を統一し、家康が天下泰平の時代の基礎を築いた。歴史的な仕事が一人一人とリレーのように代々引き継がれ、各人はその能力を存分に発揮し、あらゆる手段を使い、歴史の分岐点を作ったのである」。徳川家の中では主に、初代将軍徳川家康と三代将軍徳川家光が日本の統治に功績を残している。このため山岡荘八氏は「徳川家康」の執筆が終わった後、続いて「徳川家光」「徳川慶喜」を執筆している。この徳川幕府3部作は非常に人気がある作品となっている。
新たに中国語に翻訳・出版された「徳川家光」第一部には、徳川三代将軍の生き様が描かれている。時代背景も人物の性格もすべて「徳川家康」とは異なっており、乱世を生き抜いた英雄を描いた作品にありがちな心を打つ描写はまったくない。やはり、おもしろさでは徳川家光よりもその祖父の方が勝るであろう。これは主に家光が経験した出来事が彼の祖父ほど多彩ではないということに他ならない。徳川幕府泰平の礎を築いたのは徳川家康であった。その嫡子・秀忠も勇将だったとはいえ、謀略面ではその父に劣っており、徳川家康は将軍職を退いた後も大御所として政治の実権を握り続けていた。豊臣秀吉が幼い嫡子を残し早死にしたように、徳川家康も早死にしていたとすれば、徳川秀忠も徳川家の政権を次の世代に伝えていくことは出来なかったかもしれない。幸いにも、三代将軍・徳川家光がその祖父の能力を隔世遺伝で受け継いだ。家康時代に制定された規定を基礎に、さらに多くの規定が定められ、徳川家を200余年におよぶ江戸幕府の最高政権者とならしめた。だが惜しいことに徳川家光は短命で、48歳までしか生きることができなかった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年7月13日