実際のところ、日本が明治維新によってアジア唯一の強国の道を歩み始めてから、中日関係の発展は順調ではなくなった。
「強く」なった日本は、「先生を打つ」戦争を次々に繰り広げたのである。中国を侵略したほかの列強より、日本の侵略は中国人を憤慨させるものであった。これは「恩を仇で返す」ことであると同時に、アジアの2つの国の発展不均衡がもたらした落差であったからである。
国交正常化以降、とりわけ中国の改革解放後の台頭に伴い、中日の間には歴史認識問題や台湾問題等をめぐる争いが絶えなくなった。中日関係を維持するために、両国政府は多大な努力を払ってその位置づけを変え、最終的に「戦略的互恵関係」とした。しかし、近年の中日関係の変化を観察すると、両国が政治的相互信頼を築くことは非常に難しく、双方はそれぞれ「疑い」を抱き、お互いの信用が欠けていることがわかる。また、日本の政界は頻繁に首相が変わり、保守系の政治家は目立つためにいかなる手段もいとわず、長年野党にあった政党が与党になった後は外交経験に乏しく、メディアのネガティブな報道によって発展する中国に対する日本国民の感情は「中国を恐れる」ものから「中国を恨む」ものへと徐々に転化している。こうしたことが、「戦略互恵関係」の構築を非常に難しくしているのである。
中日関係が「美しく見える」背後には数々の傷跡が隠されており、「構築が難しい」背後には歴史的原因だけでなく、現実的原因も隠されている。両国は現在「戦略的互恵関係」を育んでいる最中であるが、実際のところ、お互いの戦略に対する考えや落ち着き先は近くもないし似通ってもいないため、その基盤は非常に脆弱で、雨風やちょっとした衝撃にも耐えられないのである。そこで、中日の戦略的互恵関係は、「子どもを育てるのと同じように、辛抱強く、愛をもって育む必要がある」と述べる人もいる。