習近平が語る、文革時の陝北での「挿隊」の思い出

習近平が語る、文革時の陝北での「挿隊」の思い出。 習氏は幼少期を厳格な父親の下で過ごしたが、その少年時代は父親の運命と更に深く結び付いたものになった。文革期に父親が攻撃を受けたことで、習氏は16歳にならないうちに陝北の生産隊に送られる。この時の経験は、習氏にとっては永遠に忘れられない記憶であり、また、人生の最も貴重な財産ともなった…

タグ: 習近平 文革 知識青年 挿隊

発信時間: 2010-11-11 13:22:32 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

100kgの小麦を担ぎ、肩を換えることなく5kmの山道を歩いた

習近平氏は、中国の最下層機関である当時の生産隊の党支部書記、そして中国共産党県委員会副書記から中国共産党省委員会書記へ、更に今日の国家副主席へと一歩ずつ着実に歩みを進めた人である。

習近平氏(後の右から1人目)と家族たち

習氏は幼少期を厳格な父親の下で過ごしたが、その少年時代は父親の運命と更に深く結び付いたものになった。文革期に父親が攻撃を受けたことで、習氏は16歳にならないうちに陝北の生産隊に送られる。この時の経験は、習氏にとっては永遠に忘れられない記憶であり、また、人生の最も貴重な財産ともなった。「あの頃は1年365日、病気になった時以外は殆ど休みなしで働きました。雨の日も風の日も、窰洞(横穴式住居、ヤオトン)の中で農民達と押し切りで草を刻み、夜は彼らと家畜を見張り、それから羊の放牧にも行き、どんな仕事でもやりました。その頃は、100kgの小麦を担ぎ、肩を換えることもなく5kmの山道を歩いたのです」。

習近平氏が泊まった窰洞

当時、約2万9000人の北京の知識青年達が延安の生産隊に入隊し、習近平氏は大隊支部で最初の書記を務めた。この経験を通して、彼は次のように語る。「人民大衆の力を見た。人民大衆の根本を見た。真に庶民を理解できた。社会を知った。これは最も基本となるものです。“事実求是”(事実に即して物事の真理を求める)の考え方の多くは、この時期に芽生え、根付いたもので、現在に至っても、どんな時も私に影響を与えています。」

「私の成長や進歩の過程については、陝北で過ごした7、8年間から話すべきでしょう。最大の収穫は次の2つでした。1つ目は、“現実”とは何か、“事実求是”とは何か、“人民”とは何かを分からせてくれたことです。これは、私の生涯の糧となるものでした。2つ目は、私に自信を持たせてくれたことです。あの数年間の苦しい農村での生活が私を鍛えてくれました。その後、困難に遭遇した時には、『あんなに苦しい環境の中でもやってこれたのに、今は何故できないのだ。あの時ほど苦しい事などないはずだ』と、当時を思い出すのです。人には気骨がなければなりません。どんな事に遭遇しても挑戦する勇気、どんなまやかしをも信じない心があれば、何が起きてもうろたえず、困難を知りつつも前進できるのです」。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年11月11日

「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。