中国の空母の想像図
中国は1万8000キロメートル余りの海岸線と300万平方キロメートルの海洋国土(内海、領海、隣接区、排他的経済水域、大陸棚など全ての管轄海域の集合概念)を持つ。
1840年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国成立まで、中華民族は470回以上にわたり海から外国に侵略された。
中国人が空母の夢を抱き始めたのは実は遅くはない。早くも1928年末には、当時の陳紹寛・国民党軍政部海軍署署長が国民政府に初めて空母建造を進言している。英国による世界初の全通甲板空母「アーガス」の完成からわずか10年後のことだ。
新中国成立後、毛沢東主席はその特有の非凡な才略により、遠大な見識に基づいて「今後何年かのうちに強大な海軍力を建設できるよう、造船工業に力を入れ、大量の船を造り、海の『鉄道』を建設しなければならない」と指示した。
周恩来総理も空母には捨てきれない思いを抱いていた。1973年10月25日、周総理は外国の客人と会見した際「私は生涯軍事と政治に携わってきたが、まだ中国の空母を目にすることができない。空母を目にできないのは受け入れがたい!」と感情を吐露した。
中国海軍の歴代指導部は長年にわたり空母発展への関心を強めてきた。蕭勁光・初代司令官は「艦隊が遠海で活動するには、空母がなければ制空権を確保できない。制空権が確保できなければ作戦の勝利も保証もない」と指摘した。
海軍司令官を務めた劉華清・元軍事委員会副主席もずっと空母への思いを抱き、「空母を持てば海軍に大きな質的変化が生じる。戦闘能力も大きく高まり、軍威と国威の発揚に寄与する」と繰り返し強調していた。
かつての国と軍の指導者の深い思い、無数の民衆の熱い期待。半世紀経った今も、空母の夢はついえていない。「中国の空母」----この5文字は今も中国人の心の中をめぐっている。
「人民網日本語版」2011年7月29日