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japanese.china.org.cn | 19. 06. 2014 |
1980年代の初め、国家の平和統一を実現するため、国の指導者鄧小平は実に独創的な「一国二制度」の科学的構想を提起し、それをまず香港問題の解決に用いた。鄧小平の論述によれば、「一国二制度」とは一つの中国という前提のもとで、国家の主体は社会主義制度を堅持し、香港、澳門(マカオ)、台湾は従来の資本主義制度を長期的に維持し変えないことを意味する。
1982年12月4日、第5期全国人民代表大会第5回会議が採択し、公布施行した『中華人民共和国憲法』第31条は、「国は必要がある場合特別行政区を設置することができる。特別行政区内で実行する制度は具体的な状況に応じて全国人民代表大会がこれを法律で定める」としている。これは「一国二制度」の構想を具現したもので、中国政府が国家の平和統一を実現したさいに、いくつかの区域で大陸部とは異なる制度や政策を実行する特別行政区を設置することについて直接の憲法上のよりどころをもったものである。深く掘り下げた調査研究を経て、1983年初頭、中国政府は香港問題の解決について次のような「12カ条」の基本方針・政策を策定した。(1)中国政府は1997年7月1日を期して香港地区に対する主権行使を回復する。(2)主権行使の回復後、憲法第31条の規定により、香港に特別行政区を設置する。香港特別行政区は中央人民政府が直轄し、高度の自治権を享有する。(3)特別行政区は立法権、独立した司法権と終審権を享有する。現行の法律、法令、条例は基本的に変えない。(4)特別行政区政府は同地の人々で構成する。政府の主要官僚は同地で選挙あるいは協商により選出し、中央人民政府が委任する。前香港政府各部門の公務、警務のスタッフは留任することができる。特別行政区の各機構はイギリス人やその他外国籍の者を顧問として招聘することもできる。(5)現行の社会、経済制度は変えず、生活様式は変えない。言論、出版、集会、結社、旅行、移住、通信の自由、宗教信仰の自由を保障する。個人の財産、企業の所有権、合法的相続権、および外来投資はいずれも法律の保護を受ける。(6)香港特別行政区は従来どおり自由港、独立関税地区とする。(7)金融センターとしての地位を維持し、引き続き外国為替、金、証券、先物などの市場を開放し、資金の出入りを自由にし、香港ドルは従来どおり流通し、自由に交換できるものとする。(8)特別行政区の財政は独立を維持する。(9)特別行政区はイギリスと互恵経済関係を結ぶことができる。イギリスの香港における経済的利益は保護される。(10)特別行政区は「中国香港」の名義で、単独に世界各国、各地域、および関連国際組織とのあいだで経済、文化関係を維持、発展させ、協定を結ぶことができる。特別行政区政府は香港に出入りする旅行許可証を自ら発行することができる。(11)特別行政区の社会治安は特別行政区政府が責任をもつ。(12)上述の方針・政策は、全国人民代表大会が香港特別行政区基本法によりこれを定め、50年間変えないものとする。
1982年9月24日、鄧小平が中国を訪れたイギリス首相サッチャー夫人と会見し、中国政府の香港問題に対する基本的立場を説明し、主権問題は話し合う余地のない問題であり、1997年に中国が香港を取り戻すことを指摘した。この前提のもとに、中英両国は香港をどのように移行させればよいか、かつ15年後に香港をどうするかといった問題を解決するため協議を行った。これを皮切りとして中英間の香港問題に関する交渉の幕が切って落とされた。1984年12月19日、中英両国政府は22ラウンドに及ぶ交渉を経て、北京で『中華人民共和国政府とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国政府の香港問題に関する共同声明』(中英共同声明)に正式に調印し、中華人民共和国政府が1997年7月1日に香港に対する主権行使を回復することを確認した。中国政府は共同声明の中でさらに「12カ条」を核心的内容とする香港に対する基本方針・政策を明らかにした。中英共同声明の調印は香港が祖国復帰の前の移行期に入ったことを示している。13年の移行期のあいだ、中国政府は「一国二制度」の方針・政策を確固として守り、香港同胞にしっかり頼り、さまざまな干渉を断固排し、香港に対する主権行使を回復するためのもろもろの準備作業を整然と推し進めた。
1985年4月10日、第6期全国人民代表大会第3回会議は、中華人民共和国香港特別行政区基本法起草委員会を設立し、香港基本法を起草することを決定した。同年7月起草委員会が発足し、1990年2月に起草の任務を完了した。その期間は4年8カ月に及んだ。香港基本法の起草過程は高度に民主的でオープンであり、幅広い香港同胞が積極的に起草作業に参与した。起草委員会の59名の委員のうち、香港の各分野からきた委員が23名いた。起草委員会はまた、香港の委員に委託して、香港で180名の各界の人々による基本法諮問委員会を発足させ、広く香港社会各界の意見や提言を聴取した。1988年4月、起草委員会は香港基本法(草案)意見聴取稿を公表し、1989年2月、全国人民代表大会常務委員会は香港基本法(草案)を公布し、前後2回にわたり香港と大陸部で広範に意見を求めた。香港および大陸部の社会各界の人々は進んで討論に参加し、そのうち、香港側だけでも8万件近い意見や提案が出された。香港基本法には香港の同胞を含む全中国人民の共通の意志が具現されており、中華民族の幅広い集団的知恵が凝縮されている。
1990年4月4日、第7期全国人民代表大会第3回会議は『中華人民共和国香港特別行政区基本法』(香港基本法)を採択し、同時に香港特別行政区の設置を決定した。香港基本法は憲法に基づいて制定された基本的法律であり、香港特別行政区で実行する制度と政策を規定している。それは「一国二制度」の方針・政策の法律化、制度化であり、「一国二制度」の香港特別行政区における実践のために法的保障を与えるものである。鄧小平は香港基本法を高く評価し、「歴史的意義と国際的意義をそなえた法律」であり、「創造的な傑作」であると述べている。
香港基本法の公布後、中国政府は香港特別行政区成立のための準備作業にとりかかった。1993年7月、全国人民代表大会常務委員会は香港特別行政区準備委員会予備工作委員会(予備委員会)を設置し、1996年1月、全国人民代表大会香港特別行政区準備委員会(準備委員会)が発足した。予備委員会と準備委員会は香港の平穏な移行と政権の順調な引き継ぎを実現するために多くの仕事を行った。
1997年7月1日、中国政府は香港に対する主権行使を回復し、香港特別行政区が成立し、香港基本法が実施に移された。香港は「一国二制度」「香港人による香港の管理」そして高度な自治といった歴史の新紀元に入った。祖国の大きな家庭の一員として、香港同胞と大陸部の民衆がともに偉大な祖国の尊厳と栄光を享受し、中華民族の偉大な復興の責任と使命をともに担うようになった。
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