「恐怖と支配」 中国人の戦争の記憶

「恐怖と支配」 中国人の戦争の記憶。 抗日戦争の全面的な勃発の日から、80年弱の時が流れた。95歳の閻桂茹(音訳)さんは、開戦当時の銃弾の嵐を思い出すと、今でも恐怖に震えるほどだ…

タグ: 抗日戦争 盧溝橋 70周年

発信時間: 2015-07-08 15:00:22 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

抗日戦争の全面的な勃発の日から、80年弱の時が流れた。95歳の閻桂茹(音訳)さんは、開戦当時の銃弾の嵐を思い出すと、今でも恐怖に震えるほどだ。仏AFP通信が伝えた。

1937年7月7日、無情な銃声が一般人の静かな生活を破壊した。17歳で新婚の閻さんは、盧溝橋から約100メートル離れた場所に住んでいた。「銃声が突然響き、誰かが『日本鬼子がやって来た』と叫んだ。知らせを聞くと私たちは走って家に帰り、鍵をかけて、ベッドの下に身を隠した。当時はとても恐ろしかった。誰もが恐れていた。この戦争がいつまで続くか分からなかった」この衝突は、日本軍が北京を占領する口実になり、8年間の全面戦争に突入した。中国は、2000万人以上の中国人がこの戦争で命を落としたと報じている。

銃声が止み、閻さんの一家は驚き呆れていた。彼女の両親、夫、姉妹がベッドの下から出てきたが、あまりもの恐怖で何日も外に出られなかった。一家は結局、日本人の略奪から逃れられなかった。閻さんと兄嫁は夫の後ろに隠れ、日本人に連れ去られ強姦されることを恐れた。「幸いにも、彼ら(日本人)に連れ去られなかった。しかし彼らは家で飼っていた豚や鶏など、食べられるものをすべて奪っていった」

7月7日に盧溝橋で式典が開かれ、数ヶ月に渡る中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動が幕開けとなった。記念活動の盛り上がりが最高潮に達するのは、9月に首都・北京で実施される閲兵式だ。国家新聞出版広電総局は10の映画作品、20のドキュメンタリー、3つのTVアニメ、100の図書、20の電子出版物などを重点作品に指定した。

閻さんは現在も、1937年に住んでいた平屋建てで生活しており、隣人から敬われている。「日本は今日も、間違いを認めていないと思う。日本は永遠に中国の友人にはならないだろう」

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年7月8日

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