二、中比の南中国海をめぐる紛争の経緯
55.中比の南中国海をめぐる紛争の核心はフィリピンが中国の南沙諸島の一部島嶼・礁を不法に侵略し占領したことによって引き起こされた領土問題である。その他に、国際海洋法の制度の発展に伴い、中比には一部の海域において海洋境界画定の紛争も発生している。
(一)フィリピンによる不法な侵略・占領が中比の南沙島嶼・礁紛争を発生させた
56.フィリピンの領土範囲は1898年の『米西(米国・スペイン)パリ平和条約』(『パリ条約』)、1900年の『米西両国のフィリピンの離島割譲に関する条約』(『ワシントン条約』)、1930年の『英領北ボルネオと米領フィリピンの境界画定に関する条約』(『英米条約』)など一連の国際条約によって定められたものである。
57.中国の南中国海諸島はフィリピンの領土の範囲外にある。
58.1950年代、フィリピンは中国の南沙諸島を手に入れようとたくらんだ。しかし、中国の断固たる反対の下、フィリピンは活動を停止した。1956年5月、フィリピン人のトーマス・クロマは探検隊を率いて南沙諸島に上陸し、中国の南沙諸島の一部島嶼・礁を勝手に「フリーダムランド」と称した。その後、フィリピン副大統領兼外相のカルロス・ポレスティコ・ガルシアは、クロマの活動に支持を表明した。これに対し、中国外交部のスポークスマンは5月29日に声明を発表し、南沙諸島は「従来から中国領土の一部である。中華人民共和国はこれらの島嶼に対し争う余地のない合法的な主権を有する……いかなる国のいかなる口実、いかなる方法による侵犯も決して許さない」と厳正に指摘した。同時に、中国の台湾当局は軍艦を派遣し、南沙諸島を巡航し、南沙諸島の太平島での駐屯守備を再開した。その後、フィリピン外交部が、フィリピン政府はクロマのこの行いについて事前にその事情を知らず、同意もしていないと表明した。
59.1970年代から、フィリピンは前後して、武力行使により中国南沙諸島の一部島嶼・礁を侵略、占領し、不法な領土主張を提起した。1970年の8月と9月に、フィリピンは馬歓島と費信島を不法に侵略し占領した。1971年4月、フィリピンは南鑰島と中業島を不法に侵略、占領した。1971年7月、フィリピンは西月島と北子島を不法に侵略し占領した。1978年3月と1980年7月、フィリピンは双黄沙洲と司令礁を不法に侵略し占領した。1978年6月、フィリピンのフェルディナンド・マルコス大統領は大統領令第1596号に署名し、中国南沙諸島の一部島嶼・礁および周辺の広範囲の海域を「カラヤーン諸島」(「カラヤーン」はタガログ語で「フリーダム」の意味)と名付け、「カラヤーン地方」を画定し、不法にフィリピン領土の範囲に組み入れた。
60.フィリピンはまた国内での一連の立法により、自らの領海、排他的経済水域、大陸棚などの主張を提起した。そのうちの一部は南中国海における中国の権益に抵触する。