今年は、紅軍の戦略的大移動「長征」の80周年にあたる。中国工農紅軍の長征の勝利は、人類史上の奇跡と言える。紅軍は長征の2年間で、14省を転戦し、さまざまな曲折を経て、度重なる困難や危険を乗り越え、革命の中堅を担う力を保持・鍛錬し、中国革命の大本営を西北部へと移転し、抗日戦争の展開と中国革命事業の発展を可能とする条件を作り出した。
陜北に到達するまでに紅軍はどれほどの兵力を保持したか
国民党軍の第五回「囲剿」(いそう、共産党軍への包囲攻撃)までに、各ソビエト区の紅軍は30万人にまで拡大していた。紅軍は1934年秋、5回目の「反囲剿」に敗北し、長征を迫られることとなった。長征期間中、紅軍の兵力にはどのような変化が起こったのか。長征で陜北に到達した時、紅軍はまだどれほどの兵力を保持していたのか。
毛沢東は1962年の「七千人大会」の講話で、「長征を経て、この30万人は2万人余りにまで縮小した。陜北に到着してからいくらか補充されたが、まだ3万人に満たなかった」と語った。1971年、南方を視察した講話ではさらに、「長征前の紅軍は30万人だった。陜北に着いた時に残っていたのは2万5千人だった」と語っている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年8月22日