武漢市の百年の歴史を持つ江漢関楼の塔屋にある大鐘の針が2020年4月8日0時を指すと、76日に渡る都市封鎖が即刻解除された。
春節(旧暦正月)を前にし、中国は空前絶後の新型コロナウイルス感染対策の戦いを開始した。武漢はこの戦いの中心地となった。新型コロナウイルスによる肺炎が武漢全市で急速に拡大した。人口1000万人以上のこの都市は、黒雲漂う暗い時を迎えた。
1つの都市を封鎖することで、国民全体を守る。武漢を封鎖することで初めて感染拡大を遮断できる。1月23日の都市封鎖により、「九省通衢」と呼ばれる武漢のすべての対外交通ルートが封鎖された。かつて賑わいを見せていた都市がほぼ動きを止めた。
武漢が勝てば湖北省が勝ち、湖北省が勝てば全国が勝つ。武漢の封鎖解除は、武漢を主戦場とする中国本土の感染拡大がほぼ阻止され、感染対策が重大な段階的成果を手にしたことを意味する。経済・社会の秩序の回復が加速する。
武漢の都市封鎖から解除までの76日間に及ぶ答案を熟読すると、その中には上下で力を合わせ、内外で取り組み、心を一つにし協力した力が満ち溢れている。これは民の力、国の力だ。
英雄都市の英雄人民の粘り強い支えは、武漢の封鎖解除を促す最大の力となった。都市封鎖は国内の拡散を防止し対外輸出を避ける必要な措置だ。武漢の1000万人の市民は大きな犠牲を払い、多大な貢献を成し遂げた。
都市封鎖の期間中、6万人以上の武漢現地の医師及び全国各地から支援に駆けつけた医療従事者が肩を並べて戦った。水火の苦しみから民を救い、武漢でウイルスと戦った。多くの医療従事者が感染し、一部が殉職した。
都市封鎖の期間中、武漢の無数の末端幹部、警察、ボランティア、コミュニティ職員、配達員、清掃者、消防隊員が感染の危険を冒し、各自の持ち場を黙々と守り続け、汗を流し働いた。都市の運行と社会の秩序を維持した。
都市封鎖の期間中、武漢市民は隔離を実施し、外出を控えた。76日の苦しみ、忍耐、自制。無数の一般市民が「動かないことが行動」という信念により、政府の取り組みに協力した。
武漢市民のこの犠牲と貢献のおかげで、感染対策が日増しに好転するようになった。また武漢や湖北省以外の地域の感染症狙撃戦に向け時間と空間を稼いだ。
動乱の中で英雄の本来の姿が見えてくる。この感染ペースが早く感染範囲が広く感染対策が困難な災いとの戦いにおいて、固く閉ざされた武漢の城門を押し開くためには、この都市の市民の手、命がけの戦いだけでは不十分だ。これには別の、より力強い手が必要で、これと力を合わせることで大きな勢いを形成しなければならない。この力強い手とは、中国の制度の優位性だ。
中国の制度の優位性は、大事業に力を集中できる点にある。新型コロナウイルスの感染が発生した後、習近平総書記はこれを高度に重視し、自ら指揮をとり、自ら手配した。会議を何度も主宰し、活動の報告に耳を傾け、実地調査を行い、重要な指示を出した。感染症狙撃戦を全面的に手配した。中央の集中的かつ統一的な指導を受け、全国の上下が一致団結した。ある地域に困難があれば、各地で支援を行った。尽きることなく武漢の最前線にマンパワーと物資を送り込み、惜しまず全力でサポートに取り組んだ。
旧暦大晦日の夜、第1陣の医療チームが現地の支援に駆けつけた。その後全国各地から、314の医療チームの医療従事者3万5000人が武漢に入った。白衣を身にまとい、この時間やウイルスとの競走に加わった。鐘南山氏、李蘭娟氏、王辰氏ら中国ひいては世界トップクラスの疫学専門家と院士が現地入りし、診察を行った。死の淵をさまよう数万人の感染者を救った。
都市封鎖の期間中、武漢が必要とする医療設備、防護用品、薬品、医療機器、肉、野菜、果物、植物油が各地から尽きることなく届けられた。
世界の権威ある医学誌、英ランセット誌が「このペースで各種資源に動員をかけられる国は、中国をおいて他にはない。このペースと規模は世界的に見ても異例だ」と指摘している通りだ。
人々が心を一つにすれば、泰山であっても動かすことができる。民の力、国の力、愛の力を一つにし協力すれば、大勢を挽回できる。14億の中国人が腕まくりをし、皆で一致協力することで、武漢の閉ざされた扉を押し開けた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年4月8日