米国人記者が見た、武漢の封鎖解除の瞬間

米国人記者が見た、武漢の封鎖解除の瞬間。私が春の燦然たる日差しを撮影しているとき、看護師、釣り人、カップル、ジョギングをする人が近くを通過した…

タグ:武漢 封鎖 解除 マスク 健康

発信時間:2020-04-24 14:49:57 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 武漢に入るのは難しいことではない。ここの新規感染者数はほぼゼロに減少しており、移動規制も徐々に解除されている。76日に渡る都市封鎖が間もなく終わりを迎えるなか、記者及びその他の人員はこの中国中部の都市に立ち入る許可を得た。AP通信が伝えた。


 武漢から離れる方が難しい。この人口1000万人以上の都市で数カ月隔離された後、多くの市民が現地を離れようと試みている。その他の地域の政府部門は、これらの武漢からの人員をいかに安全に落ち着かせるかについて、まだ方針を固めていない。彼らは現在、グリーン健康コード、所在コミュニティが発行する健康証明、PCR検査の陰性結果の証明という3つの資料を提出する必要がある。


 1911年10月10日、武漢で大きな革命運動が勃発し、長江の両岸を席巻した。AP通信の記者だったJ.R.ケネディは東京から上海に渡り、長江の川上に移動し、この清王朝に反対する革命を報じた。外国人記者は2020年に再び武漢を訪れ、ここで生じたことがいかに世界に影響を及ぼすかを目にした。外国人を受け入れるホテルは少なく、コミュニティによって異なる規定が設けられていた。


 武漢の封鎖解除のカウントダウンが始まるなか、私たちは1957年に建設された武漢長江大橋に立った。川沿いの高層ビルや大橋では、医療従事者が患者を看護する動画が再生されていた。ある高層ビルは「英雄の都市」というメッセージを掲げた。長江の堤防と橋の上で、武漢市民が国旗を振り、「武漢よ、共に出発しよう」と叫んでいた。彼らはさらに国歌をうたっていた。


 ある武漢市民は私たちに、「もう70日以上も外に出ていなかった。家にいる時間が長すぎ、狂いそうになった」と話した。彼はやや疲れが目立つが、嬉しそうな様子だった。私たちは翌日、漢口駅を訪れ、運行再開後で1本目となる北京行きの列車を撮影した。私はその後数日に渡り、政府が計画した取材活動の合間にマスクを着用し、川沿いを訪れた。空は青く、春風がそよいでいた。私がグリーン健康コードを所持していることを確認すると、警備員は川沿いの公園への立ち入りを許可してくれた。この健康コードは中国で流行しているインスタントメッセージアプリ「微信」で生成される。


 川沿いはマスクを着用した市民でいっぱいだった。親子がついに自由に駆け回り、大騒ぎできるようになった。私が春の燦然たる日差しを撮影しているとき、看護師、釣り人、カップル、ジョギングをする人が近くを通過した(筆者はサム・マクネイル)。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年4月24日

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