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japanese.china.org.cn |23. 09. 2020

PKO参加30周年、中国の将兵の活躍に迫る

タグ: PKO

中国マリ平和維持兵士が任務エリアに到着。


 中国は2013年12月、国連マリ多元統合安定化ミッションに155人の工兵分隊、170人の警備分隊、70人の医療分隊を派遣し、非常に過酷な状況の危険地域で平和を守った。



 家族と心温まる交流も


 現地の通信面の条件が悪いため、平和維持将兵と家族の連絡は非常に困難だった。


 管氏は「マリの現地のインターネット利用条件が悪く、砂嵐になると電波がまったく届かないほどだ。そのため私たちはよく高い場所に移り、携帯電話を高く掲げて電波を受信し、家族と電話するか微信の動画で交流した」と話す。


 南スーダンで平和維持任務を遂行した米氏も、家族との連絡に苦心した。「現地で電波が届きやすいのは夜が多く、そのため私はよく午前2時頃にアラームを設定し、深夜に目を覚まし家族と会話した」両親を心配させないため、米氏は平和維持任務に参加していることを伝えなかった。動画で会話する時には、内モンゴルで集団訓練を行っていると嘘をつき、40度以上の猛暑でも分厚いコートを羽織り「カモフラージュ」した。「帰ってきてから両親に実際あったことを説明すると、母は私を抱いて大泣きした」


 米氏が平和維持任務を遂行している間に、娘が誕生した。子供が恋しくなると彼は携帯電話を取り出し、何度も娘の写真を見た。「帰国すると娘はもう生後11カ月になっていた。私は当時、すぐに会って抱きしめたくてたまらなかった。パパと呼ばれたかった」ここまで話すと、実弾を持つ武装分子と正面から遭遇した時にも一歩も引かなかった中国の軍人が目を赤らめた。「娘と会った時、隔離状態であったため欄干を隔てていた。生まれつき持つ血縁関係のためか、娘はじっと私を見ていた。私はその時、涙が止まらなくなった」と米氏は嗚咽しながら語った。


 「ある日娘から、自分が生まれた時にパパはどこにいたの、どうしてママのそばにいてあげなかったのと聞かれたら、私はこう答えたい。パパはその頃、遠い国で平和維持任務を遂行していた。現地の子供たちもきみのように可愛いが、彼らの生活条件は非常に苦しく、服が破れ、ご飯も満足に食べられず、命の危険にもさらされている。パパがあの頃きみのそばにいなかったのは、彼ら子供たちを守りに行ったからだと」

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