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ホームー村の風景 |
観光客が多いカナス湖と比べ、ホームー村は、深い山の奥にある「浄土」ともいえる。ホームー村は「ホームーカナス蒙古族郷」に属している。
ここの風光はたおやかで美しく、「アジア唯一のスイス風景」と賞賛されている。村には、アスファルトの道もなければ、セメントの家もなく、バスも走っていない。ただ、青い空と白い雲、緑の山と透き通った水、木造の家と木の橋があるだけだ。そして数頭の牛が渓流のほとりで草を食み、水を飲んでいる。純朴な村人たちは、「ナイ茶」(ミルク入りの茶)を沸かす。
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ホームー村の木造の家 |
ホームー村の人口は、現在、1400余人。少数のカザフ族のほかは、70%がツーバ人である。
ツーバ人は神秘的な民族である。中国の55の少数民族の中には入っていない。中国では「図瓦人」と表記される。世界的にはツーバ人は、ロシアに約18万人、モンゴルに約3万人が住んでいるといわれる。
現在、中国領内には2600余人のツーバ人がいて、カナス湖近くのバイハバ、カナス、ホームーの3つの自然村に分布している。その中で、ホームー村の交通が最も不便で、毎年、半年近く、大雪に閉ざされ、外の世界と隔絶されてしまう。
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現代のツーバ人 |
そのため、ツーバ人はこの民族の伝統的な生活様式を依然として保っている。彼らは主に狩猟や放牧によって暮らし、チベット仏教を信仰し、丸太小屋に住み、ミルクで造った酒を飲み、平凡の生活を送っている。彼らが神秘的だと言われるのはなぜか。それは主に、ツーバ人がどこから来たかがよくわからないからである。
ツーバ人の多くは、自分たちがチンギスハン(在位1206~1227年)の軍隊が西方に出征したとき、この地に残った兵士の子孫だと信じている。言い伝えによると、当時、彼らの祖先が大軍とともに西征してこの地に達したとき、ここを守備するよう命じられ、上級の兵士の印である「青いネクタイ」を授けられた。それから百年以上たって、モンゴル帝国は滅亡した。ここにいたツーバの兵士たちも、四散して逃げ去ったモンゴルの貴族たちから忘れられてしまった。明の時代になると、彼らは「青ネクタイ」をしまい込み、軍服を脱いで、普通の牧畜民となった。
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ツーバ人が使っているマグサを切る農具 |
確かに、ツーバ人の顔つき、服装、信仰や生活習慣はみな、モンゴル人と非常に似ている。しかし、その中には疑問点も少なくない。例えば、ツーバ語は、モンゴル語との相似性はわずか30%ほどしかない。逆にカザフ語にもっと近く、互いに通じるので、意思疎通ができる。したがってツーバ語は、古代の突厥語にその源を発するに違いない。
また、ツーバ人の住宅は、パオではなく、木造の家である。ツーバ人は金の飾りを身につけるのが好きだが、モンゴル人は銀の飾りが好き。ツーバ人は牛のミルクで酒を造り、モンゴル人は馬のミルクで酒を造る……こうしたことはどのように解釈すべきなのか。これに対してさまざまな専門の学者たちが研究や論議を続けている。
現在、多くのツーバ人は旅館やレストランを経営し、観光業に携わっている。これからもっと増えるかもしれない。ホームーは「浄土」ではなくなり、純潔を取り戻すことはないだろう、と思うと、寂しい気がする。だが、それを選ぶのはツーバ人自身の権利である。彼らも、より快適で、より近代的な生活を望んでいる。そのため、彼らは自ら進んで伝統的な生活様式を捨てたのだ。こうした矛盾は実に解決が難しい。