移転する首都鉄鋼コンビナート
発信時間: 2007-07-25 | チャイナネット

移転は企業発展の必要

首都鋼の正門 

首都鉄鋼コンビナート(以下「首都鋼」と略称)本部は北京市西部の石景山のふもとに位置し、山の上には800年余りの歴史のある古刹、文化財と言える蔵経洞も保存されている。首都鋼は1919年創設の株式企業であり、軍閥の混戦、旧日本軍の侵略や国内戦争を経て、1949年の新中国成立までの30年間にあわせて28.6万トンの鉄しか生産しえなかった。

新中国成立後の首都鋼は生まれ変わった。1958年、粗鋼を生産できない歴史に終止符が打たれ、1978年の粗鋼生産量は179万トンに達し、全国鉄鋼企業のベストテンに入った。1994年の粗鋼生産量は824万トンで全国一位となった。

 

写真は首都鋼の第三製鋼所の生産現場

写真は鋼板の生産ライン

現在、首都鋼はすでに鉄鋼業を基幹産業とし、採鉱、機械、エレクトロニクス、建築、不動産、サービス業、国際貿易など多くの業種を兼営しており、多地区、多種類の所有制の国際大型企業グループとなっている。2005年のグループの資産総額は675億元で、売上収入は806億元に達している。

わが国は粗鋼生産の大国であるが、粗鋼生産の強国ではない。近年来の国内鉄鋼産業の急速な発展と国外市場の激しい競争に直面して、首都鋼は内外からのプレッシャーにさらされ、内的実力を強化し、戦略的構造調整を実施するという挑戦に直面しなければならなくなった。首都北京という特殊な位置からみても、周辺地域で適切な発展の空き地を手に入れることはすでに不可能であった。さらに、首都北京という特別な環境で、ますます多くの企業が他の地の企業より大きな環境保全面のプレッシャーに直面している。こうした状況も下で、首都鋼は「発展がなければ、企業のすべてがなく、プレッシャーと挑戦を発展の原動力とチャンスに変えよう」という奮闘目標を打ち出し、戦略的移転――鉄鋼業の移転を決めた。その実、首都鋼は十数年前から次の発展のために新しい立地を探し始めていたのである。

            移転、企業と従業員がともに直面

      写真は野生の鴨などの渡り鳥が毎年やって来る首都鋼の冷却水の池 

1995年以来、首都鋼は産業構造を調整すると同時に累計15.54億元を投入し、相次いで289の環境整備プロジェクトを完成し、汚染物排出量を大幅に減らした。2003年にはSO2、スモッグ、粉塵、その他の塵埃の排出は1995年比それぞれ74.22%、85.98%、73.43%、83.53%低下した。

それにもかかわらず、北京の五輪招致の成功と北京の発展につれて、首都鋼の移転は議事の日程に盛り込まれることになった。2005年、国務院は首都鋼の移転案を批准し、移転の期限に対してのはっきりした注文をつけた。それには三つの内容が含まれている。一、5年間に鉄鋼生産業務を河北省の渤海湾沿岸の曹妃甸に移転すること。二、北京の順義区に生産規模150万トンの冷間圧延薄板生産ラインをつくること。新しい工場は産品の付加価値が高く、技術設備も先進的であること。立地は現代(ヒューデー)自動車生産工場と隣接しているので、その製品は自動車の生産に対応したサービスを提供することができる。三、北京の元の場所では本部経済を発展させ、研究開発、販売、ニューハイテク、エレクトロニクス、サービス業、不動産業などを重点とする非鉄鋼産業を発展させる。それと同時に、クリエーティブ文化産業を発展させ、精錬工場の元の場所に冶金博物館をつくり、青少年向けの科学普及施設、成人向けのリゾート施設、伝統教育を特色とする観光経済を発展させること。

首都鋼は80年余りの歴史を有する大型企業として、数世代の人々が共同で生活するコミュニティーでもあった。このような大型企業の移転は年産800万トンの企業のことだけのことではなく、8万人余りの従業員と10数万人の家族の生活とも関わるものであり、各方面の努力が必要となっている。首都鋼のある責任者は次のように語っている。移転にはもし期限がなければ、われわれは北京の生産を調整しながら、曹妃甸の新しい生産施設を建設することができ、鉄鋼産業の構造を逐次調整することも可能である。そうすれば、企業の損失もかなり減り、従業員たちに対するインパクトもそれほど大きくない。新しい工場の技術設備のレベルアップや工場の建設工事の工期などがゆえに、移転によって多くの従業員が余剰人員となってしまう。これらの人たちは、一部は繰り上げて定年退職し、一部は北京市政府が実施する再就職プロジェクトにより、再就職することになる。さらに一部の人たちは首都鋼の付属産業へと職場を変えることになる。

 

写真は第三製鋼所のコントロール室

移転の計画によれば、すべての鉄鋼産業は2010年までに北京から完全に出ていくことになる。現在、第一製鋼所はすでに解体され、第二製鋼所は2010年に生産をストップし、第三製鋼所は来年生産を停止することになっている。1992年に操業を始めた第三製鋼所は製鋼所としては現在ちょうど「壮年期」にあり、10数年間に生産した鋼材は360の「鳥の巣(北京五輪メインスタジアム)」をつくることができる。ある年配の従業員は、私たちにとって、工場は私たちの住み家にひとしいものであり、数十年来工場の発展のために測りきれないほどの心血を注いできた。しかし、北京五輪の「鳥の巣」のために、私たちは自分の巣ともいえるものを取り除くことを喜んで受け入れた。国有企業は国の建設を支援する面でいつも最大の貢献を払ってきて、首都鋼は今回の移転においても依然として国有企業のあり方を示して見せた。

首都鋼の責任者は企業文化の建設に力を入れ、学習型企業の構築を唱道している。学習型企業の構築とは単純な養成トレーニングではなく、企業の発展を目標とし、集団としての学習を通じてシステムチックに思考し、観念を更新し、続いて制度を刷新し、個人と企業の共同の発展を図っているのである。従業員たちも積極的に学習に身を投じて、新しい技術を勉強するかたわら、総合資質の向上に努め、将来の新しい職場の必要を満たすために頑張っている。

「チャイナネット」 2007年7月25日

 

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