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北京パラリンピックの閉会式(動画) |
発信時間: 2008-09-17 | チャイナネット |
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北京時間17日の夜、11日間にわたって行われた北京パラリンピックがいよいよ幕を下ろす。 今回のパラリンピックには、147カ国・地域からおよそ4000人の選手が参加した。「超越、融合、共に分かち合う」というテーマのもと、障害を持つ選手たちは自分を乗り越えようと奮闘すると同時に、競技を心から楽しんだ。彼らの活躍は多くの観客に感動を与え、命の大切さを改めて痛感する機会にもなった。これについて、胡錦涛国家主席は、次のように話している。 「パラリンピックでは、各国の選手が自信に満ち溢れたようすでスポーツを楽しみ、自分自身にチャレンジしていました。パラリンピックは、障害者と健常者が『世界』という枠組みの中で交流し、社会的利益を分かち合い、調和の取れた社会をともに築いていけるよう、後押ししてくれるでしょう」 今宵は北京パラリンピックの閉会式、北京らしいアトラクションや、命や自然をテーマにした歌や踊りを、観客と一緒に楽しむ。また、閉会式は、オリンピックとパラリンピックの終わりを告げるとともに、始まりの合図でもある。2012年パラリンピックの開催都市であるロンドンは、北京市長から国際パラリンピック委員会の会旗を授与され、8分間にわたってロンドン・パラリンピックをアピールする。 パラリンピックが開催された11日間、世界各地からやってきたおよそ4000人の選手が、20の競技に参加した。今回のパラリンピックでは、471個の金メダルが誕生した。選手たちは自らの行動をもって、北京パラリンピックの理念である「超越、融合、共に分かち合う」を体現した。 北京パラリンピック初日、イギリスの自転車チームは、老山自転車館で3個の金メダルを獲得すると同時に、3種目で世界記録を更新した。金メダリストの1人、デビット・サイモンさんは、授賞式の後、次のように感想を述べた。 「金メダルが決まったときは、私も驚いた。試合前、メダルを取りたいとは思っていましたが、その瞬間が本当にやってくるとは・・・金メダルを手にした感触は、予想以上に良かったです」 そのほか、パラリンピックでは多くの選手が活躍した。スロバキアのヴァドウィコワさんは、エアライフルR2女子10メートルの試合に車椅子で出場、金メダルを獲得した。重量挙げ男子48キロ級では、ラオスのシマイさんが銅メダルを手にした。ラオスがパラリンピックでメダルを獲得するのは初めてのことでした。視覚障害者柔道に参加した日本の藤本聡選手は、普通の人の3倍以上の練習を積み重ね、大会に臨んできたと話した。 選手たちの多くは、競技の勝ち負けよりも、そのプロセスを楽しんでいた。男子シッティングバレーのリーグ戦で、イラクは初戦で、0対3でボスニア・ヘルツェゴビナに敗れた。しかし、観客はイラクの選手に大きな拍手を送った。 イラクチームのキャプテン・ハミドさんは、次のように語った。 「応援してくださる方々に感謝します。イラク国民、そしてイラクチームに対して、自分の国の人と同じように接してくれました。ほかのメンバーを代表して、観客の方々、中国のみなさんに感謝します」 今回のパラリンピックが選手たちにもたらしたのは、メダルや栄誉だけではない。彼らは、勇気と自信も手にした。今年5月、ミャンマーをサイクロンが襲いた。ミャンマー選手のウィン・ニアングさんも被災し、親戚数十人が死亡、自らも負傷した。ニアングさんはさまざまな困難を乗り越え、今回の北京パラリンピックに参加してきたのである。ニアングさんは次のように話している。「私は運がよかったと思います。スポーツは、大きな喜びや満足感をもたらしてくれ、生きていく勇気も与えてくれました。メダルを取ることは国の栄誉であるだけではなく、私の希望でもありました。次のチャンスを目指して、これからも練習を続けていきたいと思います」 さて、選手がパラリンピックに参加する意義はどこにあるのだろう?これについて、チェコ代表団のケレセク団長は次のように話している。 「競技はパラリンピックの一部に過ぎません。重要なのは、障害をもつ選手がより広い世界に接触できるよう促すこと。異なる文化を体験し、より多くの友達を作り、心の窓口を開いてもらうことです。スポーツは、障害者が喜びを分かち合い、ともに困難を乗り越えるための触媒なのです」 7年前の招致決定の際、北京市は「オリンピックとパラリンピックをともにすばらしいものにする」と世界に約束した。あれから7年、北京はこの約束を実現した。国際パラリンピックのクレイヴァン会長は、次のように評価している。 「北京パラリンピックは、パラリンピック史上の一里塚になりました。われわれは、感激しています」 パラリンピックを成功させるため、北京市は、インフラの整備や交通のバリアフリー化に努力してきた。例えば、地下鉄構内にエレベーターを設置したり、標示を取り付けたり、病院やホテルでは、バリアフリー化を図った。観光地でも、目の見えない人のために専用道路をつくるなど、さまざまなサービスを展開してきた。また、27カ国・地域から170万人のボランティアが集まり、選手や関係者を支援した。 北京パラリンピックの関連施設について、国際パラリンピックのクレイヴァン会長は、次のように評価している。 「競技場や関連施設はすべて、国際パラリンピック委員会の基準に達しています。細かいところまで行き届いており、われわれの要求をはるかに超えています。選手村で選手たちに話を聞いたり、彼らのようすを見たりすると、食事や交通、施設への満足度は高いようです」 北京パラリンピックがまもなく閉会する。その影響力は今後も続いていくだろう。北京パラリンピックの成功は、北京、そして中国に、大切な遺産を残した。これについて、国際パラリンピックのクレイヴァン会長は、次のように話した。 「北京パラリンピックをきっかけに、障害者選手のための競技場や専用のリハビリ施設が出来ました。また、北京市やほかの都市でバリアフリー化がさらに進んで、障害者の外出がさらに便利になりました」 北京パラリンピックは世界にとって、スポーツの祭典であると同時に、平和交流の場でもあった。各国の選手は、相互理解と友情を深めた。イラン選手団のカルガリ団長は、次のように評価している。 「パラリンピックは、世界に人道主義を示します。今回も、世界各地からやってきた選手が、相互理解を深めました。オリンピックと同じように、パラリンピックは平和で友好的な大会です。そこには、戦争や暴力による衝突をやめて、お互いを大切にしようというメッセージがあるのです」 パラリンピックの歴史は、人類が命を大切にしようと努力してきた歴史でもある。障害者を尊重し、愛し、助けることは、文明進歩の証である。北京パラリンピックは、世界の障害者が夢をかなえる場となった。これについて、胡錦涛国家主席は、次のように述べた。 「北京パラリンピックを契機に、人道主義をさらに唱えていきます。また、障害者の権利保護のため、さらに努力します。障害者が社会生活に参加し、経済や社会の発展成果をともに享受できるよう保障します。北京パラリンピックは、各国の障害者が相互理解と友情を深める舞台です。世界の障害者スポーツ事業に精神的財産を残すことでしょう」 今晩、北京パラリンピックの聖火が消える。次回のパラリンピックは2012年、ロンドンで開催される。4年後、選手たちは再び、ロンドンで顔を合わせる。 「中国国際放送局 日本語部」より2008/09/17 |
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