米国、元西ドイツ、フランス、英国は1985年、日本に協調介入への合意を迫り、これにより主要通貨に対する米ドルの切り下げが始まった。これは歴史上『プラザ合意』と呼ばれている。『プラザ合意』を通じ、米国の大幅な貿易赤字問題は解決されたが、同時に日本円は10年続けて上昇し、不動産などの資産価格が深刻なバブルとなった。その後、バブルが弾け、日本経済は後退の一途を辿り、未だに後退を脱せずにいる。
現在の中米の経済関係は、1980年代中ごろの日米の経済関係とよく似ている。日本は当時、現在の中国の巨額の輸出や外貨準備のように、貿易黒字で大量のドル債権を蓄積していた。
しかし異なるのは、中国は当時の日本のように西側と『プラザ合意』を結ぶことはなく、中国経済が後退局面に陥ることもないということだ。