経済>
japanese.china.org.cn |22. 07. 2020

コロナ禍で、如何に危を機にしていくか?

タグ: サプライチェーン


 周牧之:その通りだ。ナショナリズムは対立的な主張だ。アメリカにいまナショナリズムが出ていることの理由は、産業が空洞化したからだ。トランプ大統領が登場した背景には製造業の落ち込みがあった。


 横山禎徳:それはどこの国もそうだった。日本以前に、アメリカも同様だった。アメリカがアメリカらしくなったのは1950年代だ。アメリカが世界の債権国になったのは第一次世界大戦後1930年代で、それまでヨーロッパがあらゆる意味で世界のセンターだった。新興国のアメリカの人たちは皆ヨーロッパで勉強していた。美術も音楽も超高層建築もアメリカらしいものが出てきたのは1950年代。ノーベル賞受賞者数も膨れ上がった。当時ヨーロッパからアメリカはアグリーアメリカン(Ugly American)といわれた。日本は1980年の半ばごろアグリージャパニーズ(Ugly Japanese)と言われた。



 周牧之:世界に認められるのは時間がかかる。そこに、自分の特色と世界が何を求めているのかを察知するセンスが必要となる。


 横山禎徳:例えば、中国はデジタル化が強い。日本は文化的な伝統なのだろうが、アナログが強い。例えば、四季の移ろいに敏感だが、まったくアナログの世界だ。昨日まで夏で今日から秋というわけにはいかない。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という9世紀初頭の和歌がその典型だ。


 日本には日本のやり方があり、製造業に限っていえば、実は日本の生産性は向上している。問題は就業人口の70%を占めるサービス業だ。この生産性は長年停滞している。2000年ごろ、サービス業に限ると生産性はアメリカの三分の二程度であった。毎年生産性を5%程度向上しても当時のアメリカに追いつくのに15年かかる計算だった。驚くことに20年経った今も状況はそれほど変わっていない。これらはリージョナリズムの問題だ。これら多くのサービス業はグローバルな競争にさらされていないということだ。伝統的なリージョナル発想の業態のままなのである。グローバリゼーションの補完概念として機能するとはどういうことかがまだよく分かっていないのだ。


 例えば、日本のサービスは良いと思っているが、それは「昭和のサービス」でしかない。時代遅れでしかなく、必ずしも顧客が喜んでいないことに気が付いていない。「悪い」サービスではないから、顧客は何も言わない。従って、自己満足になっていて、顧客が評価しているかどうかに敏感ではない。こういうことに中国で行われているデジタル化を採用すれば、生産性の向上で労働時間の短縮になるだけでなく、その浮いた時間を個別顧客が満足しているかということに目を向けるようになり、独りよがりのサービスに気が付くきっかけになるだろう。


 周牧之:リージョナリズムとグローバリズムが並存していることが、互いを健全化させていく。これに対して、ナショナリズムを前面にした対立的主張は有害だ。


 横山禎徳:新型コロナウイルスに関していえば都市、国境の封鎖となっていくと、国が干渉するという形になってきて、ナショナリズムが広がる契機にもなり得る。但これは、いずれ収まると思う。技法の共有やサンプルサイズの拡大など各国が共同で対応したほうが効果的であることに気が付くからだ。特に、最も求められている治療薬やワクチンはどこの国から出てくるか予想はできない。そして、開発に成功した国は自国優先ではなく、グローバルな供給体制を早急に確立することを求められ、もし、開発資金の欠如があるのであればグローバルなファイナンス機能が活用できる。

<  1  2  3  4  5  6  >