中国文明の本土起源説と中国文明の起源、形成、発展の多元一体方式を提起

japanese.china.org.cn  |  2009-08-31

中国文明の本土起源説と中国文明の起源、形成、発展の多元一体方式を提起。

タグ:考古学 60年

発信時間:2009-08-31 10:46:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国文明の本土起源説と中国文明の起源、形成、発展の多元一体方式を提起した。

中国文明の本土起源説は、旧石器時代から新石器時代を経て、青銅器時代及びその後の文化に至るまでの途切れることのない発展がベースとなっている。文化の絶え間ない発展にともなって文明的要素がしだいに育まれ、それがある段階、ある程度蓄積したとき、国家が建設され、文明の時代に入る。この過程において、中国の本土文化は一貫して主流であり、この基礎の上に誕生した中国文明は、当然のことながら本土起源である。

中国文明の起源は中国本土にあるが、その起源はたったひとつであると言っているわけではない。中国は広大な土地を有し、地理的環境が複雑で、文化伝統も多様である。例えば新石器文化と言っても、文化の源や特徴、発展方法に基づいて以下のような六大区系に分けられる。①長城地帯を中心とした北方地域②山西、陝西、河南の3省を中心とした中原地域③洞庭湖及びその近隣を中心とした長江中流地域④山東省及びその近隣を中心とした黄河下流地域⑤江蘇、浙江省(太湖流域)及びその近隣を中心とした長江下流地域⑥鄱陽湖―珠江デルタの一線を主軸とした南方地域。成都平原の宝墩文化とその城址群の発見により、長江上流の成都平原及びその近隣も独立した区系であると見なすことができる。各区系はいずれも独立した文化伝統を有し、それぞれが文明的要素を生み出している。したがって、中国文明の起源は多元であるという説に同意する。

中国文明の起源は多元的であるが、その発展はしだいに一体化へと向かった。約5300年前の中原地域の仰韶文化や北方地域の紅山文化、及びしばらく後の長江下流の良渚文化には、部落より高度で、安定し、独立したいわゆる「古国」の政治実体が相次いで出現した。しかしその発展の過程で、それぞれ異なる道を選んだ。軍権と王権の結合を基礎とし、王権を際立たせる道を歩んだ「仰韶古国」は、神権を中心とした「紅山古国」や「良渚古国」のように社会の富を極度に消費させることはなかったため、社会の正常な発展が促進された。才能あるものが頭角を現して、他の地域の文明の先を行っただけでなく、仰韶から龍山、龍山から二里頭と綿々と続き、しだいに強大になっていった。そして、中原地域を中華文化の中心及び核心とし、さまざまなルートを通して諸処の文化から先進的な要素を吸収し、再建と融合によって一体化していった。多元一体方式は、中国の文明化のプロセスを最も簡潔に、明確に、正確に統括するものである。

 

「チャイナネット」 2009年8月31日

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