1929年12月2日、中国の著名な人類学者・考古学者・地質古生物学者である裴文中氏は発掘隊を率いて、北京周口店で北京原人の完全な頭蓋骨を最初に発見した。これにより、類人猿が存在していた事が確立され、ダーヴィンの「人類が猿人から進化した」という説を証明する重要な物証となった。これは「北京原人」頭蓋骨(前額骨)の実物化石(資料写真)
中国と南アフリカの研究員は、3月号『南アフリカ科学雑誌』で研究報告を発表し、北京原人の頭蓋骨の「行方」に関する新たな手がかりが見つかったことを明らかにした。
南アフリカ・ウィットウォーターズランド大学(University of the Witwatersrand)人類学教授リー・ベルガー氏と中国科学院脊椎動物考古人類学研究所の研究員2名は、共同でこの研究を成し遂げた。
研究員らは第2次世界大戦時のアメリカ海兵陸軍部隊の兵士、リチャード・ボーエン氏の記憶を参考に、北京原人の頭蓋骨が中国秦皇島の某駐車場の下に埋まっている可能性があると考えた。報告書によると、ボーエン氏とその家族は直接、考古学の権威であるウィットウォーターズランド大学を訪れ、北京原人の頭蓋骨を「最後に見た」いきさつを教えてくれた。
ボーエン氏の記憶によると、1947年、彼は秦皇島にある米海兵隊基地「キャンプ・ホーカム」で戦闘に参加していた。米軍がシェルターを作るために掘削作業を行っていたときに、北京原人の頭蓋骨の入った木製の箱を発見したという。当時、兵士らは木箱を機関銃の台として利用していた。その後、ボーエン氏は捕虜になったが、彼の推測では、米軍はその頭蓋骨を元の場所に再び埋めた可能性が高いという。研究員はこの記憶を頼りに秦皇島で調査を行ない、ボーエン氏のいう「キャンプ・ホーカム」の跡地を発見した。そこは繁華街の駐車場となっていた。
研究員によると、ボーエン氏は北京原人の頭蓋骨を最後に見た人物である可能性があり、多くの情報がある中で、彼の話が「最も信憑性が高い」という。ウィットウォーターズランド大学は、「北京原人の頭蓋骨は、依然行方知れずのままか、或いは秦皇島のアスファルトの地面の下に埋まっている」と発表した。
1929年、中国人類考古学者、裴文中氏は50万年前の北京原人の完全な頭蓋骨を最初に発見した。1941年に太平洋戦争が勃発する前、頭蓋骨の化石を保護する目的から、それは北京から撤退するアメリカの海兵陸軍部隊に託された。同年12月5日、部隊は汽車で秦皇島に向かっている。しかし、その後の真珠湾攻撃によって、日本軍は北京、天津の米軍兵を捕虜にしたため、北京原人の頭蓋骨の行方はそこで途絶えてしまった。この頭蓋骨の紛失事件は人類考古学史上の「世界怪奇事件」の一つとなっている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年3月26日