頑固な人は些細なことにも目を向け、誠実で頼もしい反面、視界が狭すぎて大局が見えず、木を見て森を見ず、本末転倒してしまうことがある。捕鯨問題においても、まさに日本人は自分たちのルールばかりにとらわれ、外からの意見を軽視してしまっているのではないだろうか。
日本の小泉元首相は典型的な「頑固者」であった。死者は「英霊」であり記念すべきだと決め付け、A級戦犯さえも拝んでしまった。日本の政府も自分たちの政績や文化だけを重んじ、さまざまな弁明を繰り広げ、他国の受け取り方を軽視してきた。これこそが日本の「頑固一徹」という症状であり、この症状をもつ人は相手の立場に立った思考が苦手で、国際的ルールを蔑ろにし、物事をマクロ的視野で全面的に分析することができないのである。
前述ような「頑固」さは文化固執であり、狭隘であり偏狭であるが、これは日本のような島国の属性と密接な関係がある。固執が極端になると、孤立主義を招き、危険な道を歩むことになる。また、頑固は時に優越感の表れであったり、自信のなさの表れであったりする。
例えば、日中交流において、中国の専門家や学者は、よく中日両国は云々という双方の視点に配慮した話し方をするが、日本の専門家や学者は、自身の観点だけに重きを置いていることが多く、日中関係という角度から問題を捉えていないことが多い。極端な例が釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題である。両国の軍艦、戦闘機が釣魚島付近を航行・飛行しているにも関わらず、日本は領土問題を認めなかった。その固執と自己欺瞞のほどは理解しがたいものがある。これは日本式の「頑固」さと背後にある優越感に起因するものだろう。
米国を前にしたとき、日本式「頑固」は唯々諾々とし、直接米国の要求を拒むこともできなければ安易に答えることもなく、「はい」と言いながら受け入れないことまである。米国人は仕方なく直接命令するようになり、何でもかんでも無理やり押し通すようになってしまった。
捕鯨問題においても日本人はダブルスタンダードで、欧米諸国の批判に対しては「なぜノルウェーやカナダの大量捕鯨が許され、日本だけがだめなのか」という態度を見せるが、中国からの批判には、「中国人は捕鯨に反対しているのではなく、欧米諸国と一緒になって吠えているだけ」などと猛反発する。
確かに時に中国人も日本人に倣い、不屈の精神で日本人に訴えかけ続けなければいけないのかもしれない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年2月3日