星空を仰ぎ見て、地に足をつける――嫦娥4号月プロジェクトチームを訪ねて

星空を仰ぎ見て、地に足をつける――嫦娥4号月プロジェクトチームを訪ねて。

タグ:嫦娥4号月プロジェクト チーム 訪ねて

発信時間:2019-02-05 11:48:34 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

インタビューに応じる嫦娥4号探査機システムプロジェクト執行総監の張熇氏(撮影・魏堯)。

 

 月探査機「嫦娥4号」が3日10時26分に自ら月の裏側の南極、エイトケン盆地のクレーターに着陸し、人類の探査機として初めて月の裏側に軟着陸した。「嫦娥」が宇宙を飛び、「玉兎」が月で飛び跳ねる。これはすべての中国人が喜び誇りに思う時であり、全人類の月探査の夢を叶えようとする道における一里塚でもある。

 

 中国網の記者団は中国航天科技集団第五研究院を訪問し、嫦娥4号探査機システムプロジェクト執行総監の張熇氏、探査機システム着陸機総体設計士の李飛氏、月面ローバー(玉兎)総体副主任設計士の温博氏を含む嫦娥4号プロジェクトチームの独占インタビューを行い、嫦娥4号の秘密に迫った。

 

 嫦娥4号が初めて月の裏側に着陸、その非凡な意義とは?

 

 嫦娥4号が自ら月の裏側に着陸した瞬間、新華社記者は北京航天飛行控制センターで2枚の写真を撮影した。写真の中で喜び極まり泣いている女性エンジニアこそが、嫦娥4号探査機システムプロジェクト執行総監の張熇氏だ。プロジェクト執行総監は、プロジェクトの最高責任者である総師と副総師の間に位置し、日常的な技術管理を担当している。張氏からは、優雅で手際がよく、明るく親しみやすいという第一印象を受ける。彼女の話によると、月探査プロジェクトは2004年の嫦娥1号の計画着手から現在まで、すでに15年が経過する。嫦娥4号プロジェクトだけでも1万人以上が参与し、4年弱の時間が費やされている。「当日は非常にスムーズに月の裏側に着陸し、プロジェクト全体が成功した。嫦娥4号探査機システム総師の葉培建院士が私に歩み寄り肩を叩き、『お疲れ様、大変だったね』と声をかけてくれた。皆と共に戦うのは大変なことであり、私本人も悲喜こもごもで、涙を流してしまった」写真撮影の瞬間を振り返る張氏は、今も興奮を隠せない口ぶりだった。

 

 1958年から現在まで、人類は月探査をすでに110回以上行っているが、着陸しての探査は20回にも満たないほどで、いずれも月の表側に着陸していた。なぜ月の裏側は今回が初めてなのだろうか。張氏によると、これは主に月の裏側に着陸するのが技術的に非常に困難だからだ。

 

 まずは通信の問題だ。裏側は地球が見えず、中継という手段を用いなければならない。着陸機と探査機が軌道上の衛星を介し地球にデータを伝送しなければならないが、これは中継技術にとって一つの試練だ。嫦娥4号は今回、打ち上げに成功した通信中継衛星「鵲橋号」を通じ、通信中継を実現した。次に、月の裏側は地形が非常に険しく、ほぼすべてがクレーターであり、着陸が非常に困難だ。米ソの早期の着陸技術は、言うならば当てずっぽうだった。これは月の表側ならば可能かもしれないが、月の裏側はクレーターが余りにも多く険しすぎるため、着陸に失敗しひっくり返ったり破損したりし、苦労が水の泡になりやすい。そのため今回の着陸機は非常にスマートな「障害物回避型」の着陸を実現した。すなわち月の裏側から一定の高度まで接近してから、自主的に着陸地点を調べ平行移動し、着陸する速度と場所を調整できた。身軽なダンサーのように、さまざまな障害物を回避し優雅に軽やかに着陸した。

 

 これらの努力には非凡な意義と価値がある。張氏によると、月の裏側は表側よりも数億年も古く、その土壌と地形の研究は、月の起源及び変化の研究に対して重大な科学的意義を持つ。また月の裏側は地球からの電波の妨害を受けないため、低周波電波観測を行う理想的な場所だ。

 

 それでは私たちは月のどのような秘密を探ることができるのだろうか。張氏は「現在は各種データを持続的に観測し収集しているところだ。科学者は大量の推算により結論を導き出し、月のより多くの秘密を明らかにし、人類の宇宙に対する好奇心を満たす」と話した。



1  2  >  


TwitterFacebookを加えれば、チャイナネットと交流することができます。
中国網アプリをダウンロード

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで