近代に伝わっている牽牛織女の民間の物語は、内容もずっとゆたかで健康的である。その伝統によると、牽牛は誠実で正直な働き者の若者で、父母が死んでから兄夫婦に頼って暮らしていたが、兄嫁がよくない女で、たった一頭の老いた牛と、おんぼろの大八車、痩せた二ムー(一ムーは六・六七アール)の土地を分けてやって、分家させてしまった。牽牛は自活する羽目におちいり、老いた牛を身内のように大切にして、「牛の兄貴」と呼んでいた。牛は牽牛が一人ぽっちなのを見て、嫁を世話してやろうと思い、某月某日に七人の天女が下界に降りてきて遊び、天の河で入浴するから、もしそのうちの一人の天女の服を盗んだら、その天女が彼の妻になると教えてやった。牽牛はその言いつけ通り、ある月のおぼろな晩に、織女の服を盗み、それから二人は夫婦になった。
夫婦仲もむつまじく、三年のちには男女二人の子宝までもうけ、幸せな生活を送っていた。
ところが、娘が下界で暮らしていることを知った天帝は、王母娘娘をつかわして織女を天に連れ戻し、その罪をただした。こうして仲の良い夫婦は残酷にもあいだを裂かれてしまった。牽牛は天に登るすべもなく、死ぬほど悲嘆にくれていた。「牛の兄貴」はこの悲劇を見るに忍びず、自分の角を折って船にし、牽牛に二人の子供を連れてその船に乗り、雲をかきわけ霧を散らしてそのあとを追いかけさせた。
ところが、もうひと息という時に、残忍な王母娘娘は頭からカンザシを抜いて二人のあいだに線をひいた。空には同じに波の荒れ狂う天の河が横わたり、牽牛と織女は互いに渡ることができず、河水をへだてて見つめあうばかりだった。
二人のゆるぎない愛情に感動した心のやさしい鳳凰は、天下のかささぎを呼び集めて、波の高い天の河にかささぎの橋をかけ渡し、夫婦はついに七夕にめぐり会うことができた。伝説によると、この日になると空から数えきれないほどの鳥の羽根が舞い落ちてくるが、これは天下のかささぎがみな天の河に集まって橋を造り、牽牛と織女に渡らせるためだという。
地球から見ると、牽牛星と織女星はわずか「一河」の隔たりしかなく、二人が会うのはさし難しいとは思えないが、天文学的に見ると、この二人の星は一六光年の距離があり、一五〇万億キロを隔てている。こんな遥かな旅程では、たとえ牽牛が光と同じ速度の宇宙船に乗ったとしても、十六年たたなければ織女に会えない。けれども、この人物化した神話の物語は、中国の封建社会の男女の婚姻が自由にならない残酷な現実を反映しており、七夕のかささぎの橋での再会は、働く人々の善良な願いと仕合せな生活に対する憧憬を反映している。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年8月17日