全長約1000mの歴史ある通り。六朝時代に建設が始まり、唐・宋・元・明・清の時代を経て、現在の規模となった。通りの随所に六朝から清代までの歴史の形跡を見ることができる。
西津渡は三国時代には「蒜山渡」と呼ばれていた。唐代には「金陵渡」と呼ばれ、「西津渡」と称されるようになったのは宋代以降のこと。ここはもともと長江に近く、すぐ下を大河が滔々と流れ、渡し場が設けられていた。しかし、清代以降は土砂の堆積によって長江の浅瀬が広がり、流れがしだいに北へと移動したため、西津渡は長江の岸から離れてしまった。
北宋の詩人・王安石がここで「京口瓜洲一水間、鍾山只隔数重山……」と詠ったのをはじめ、李白や孟浩然、マルコポーロなど名だたる人物がここを訪れ、その思いを後世に残している。