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ウソのような、本当の話 |
発信時間: 2010-01-14 | チャイナネット |
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林国本
中日両国がまだ国交を回復していない頃のことであるが、当時、同じ職場で校正やレイアウトの仕事をしていた日本人スタッフ(女性)がその頃、よく使われていたアルマイトの弁当箱に大豆を入れて会社の暖房設備の上に置いて、おいしい納豆をつくっていたことを今でも覚えている。私も何回かお裾分けしてもらったことがある。さらには北京の魚屋さんで買ってきたイカで塩辛も作ってくれたりした。当時はこうした手作りの納豆や塩辛は、稀少な最高級品扱いだった。もう一人の日本人スタッフは、味覚に特別きびしい人で、日本製の醤油でなければおかずがノドに通らない、といって、当時、北京に駐在していた日本の「友好商社」の友人にわざわざ日本から香港経由で日本の醤油を差し入れしてもらっていた。当時、日本の清酒などはそれこそ年代物の高級な洋酒と同じような存在であった。ところが、今では近所のスーパーでも納豆は売っているし、塩辛もいろいろな銘柄のものがスーパーで売っている。日本の清酒もすぐ手に入るし、さいきん、私が特派員として日本に長期滞在していた頃に取材に行ったことのある大分県日田市の焼酎を売っているのも目にした。 私は長年、ジャーナリストとして暮らしてきたので、雑学の趣味があり、文化人類学とかいう分野の本もたくさん持っているので、人間というものは適応性のある存在だなあ、と感心しながらそういう本を読んでいる。特に、さいきんはサバイバル関係の本も読んでいるが、ちょっとぶっそうな話になるが、人間というものは飛行機が不幸にもジャングルに不時着しても、若いときからキャンプファイアとか、登山の趣味のあった人なら、救出されるまで生き延びることは問題ないらしい。前述の女性の日本人スタッフは、結局は「おふくろの味」の智恵をちょっと生かしただけのことかもしれない。 世の中もかわればかわるもので、今や北京、上海、大連などには何十軒の日本料理屋が出店している。先般、青島でフグ料理をごちそうになってきた。大丈夫かなと一抹の不安がなかったわけではないが、とにかく、ちゃんとしたライセンスを持っているお店なので、まあ、いいかという気持ちでごちそうになった。北京ではお好み焼き、おでんも食べられるので、日本語の技能でくらしている何千人というわれわれのような人間にとって、グルメの楽しみがますます豊かになったわけだ。 中国は対外開放によってますます世界に窓を開く時代に入り、メタボリック症候群さえ心配しなければ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、韓国などの国の料理も味わえるこの時世になった。私たちのような古い世代の人間はまだ北京ダックとか、マトンのしゃぶしゃぶ料理をメインとしているが、われわれの子供や孫の世代となると、ピザとかケンタッキーフライド・チキンとか、ドイツ、スイス料理へとますます幅を広げているようだ。 中国では、「国学」という古典や伝統文化をこのうえなく重視する人たちもいるが、この人たちの子供の世代、孫の世代になると、中学生になったばかりなのに、もうアメリカに留学するために英語を猛勉強している人たちもいる。私の友人はこれは「中国人が進歩したことで、すばらしいことだ」と言っている。この友人も、かつては非常に伝統を重んじる人だったので、私は自分が時代遅れになってしまったのかと感じたこともある。 話によると、カラオケなんかに行くと、私たちのような人間が歌えるようなリクエスト曲のあるお店はほとんどない、ということだ。家族サービスのため、時々、やせ我慢してカラオケなんかに行ったりしているが、「おじいちゃんも一曲歌っては」といわれて分厚いリクエスト曲ブックをめくり続けても、古い歌は一曲か二曲しか見つけることができず、かえってストレスのかたまりみたいになっている自分に気づくのである。 さいきん、ニュースで海南島を世界のトップクラスの観光地にすることが報じられ、外国のクルーザーの停泊地やヨットハーバーの建設、大陸部と海南島にまたがる大鉄橋の建設も考えられている。中国の発展のリズムはますます速くなり、ますます近代化を加速している。もう暖房設備で納豆をつくる必要はなくなったが、これからはメタボを防ぐことを考えなければならないのではないだろうか。これはウソのような本当の話なのである。
「チャイナネット」 2010年1月14日
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