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大震災を体験した臥竜のパンダたち
発信時間: 2008-06-06 | チャイナネット

「人工飼育のパンダは一般に遠くまで行かない。探してみると、パンダ舎の近くで大多数のパンダが見つかった。木の上で仲間と抱きしめ合っているパンダもいれば、驚いた顔をして地面に立っているパンダもいた。石の上に伏せて、可哀そうに職員を待つパンダもいた」。臥竜自然保護区中国パンダ保護研究センターの衡毅さんはこう言う。「外国人観光客を救援して、すべての従業員はパンダを連れて山を遠く離れたわりに安全なところに移動した。夕方頃、成年パンダを落ち着かせて、主食の竹を置き、一行は14頭の子パンダを連れて臥竜鎮へ向かった」。パンダの移動の話になると、衡毅さんは「地震のあと、研究センター両側の山が絶えず崩れ、山崩れが深刻だった。このため、直ちにパンダをわりに安全な場所に運ばなければならなかった。子パンダは大人しく、女性職員が抱いたまま行ったが、成年パンダは男性職員に任せた。気持ちが落ち着いたパンダに食べ物で誘って現場を退去させ、怒りっぽくなって攻撃的な傾向のあるパンダには麻酔薬を注射して担いでいった」と言った。

「半日経って、みんなは腕がだるくて痛くなったり、しびれたりした。両腕の筋がつった女性飼育係もいた。子パンダを抱いて相当な距離を歩いたからだ。子パンダの体重は約20~30キロ、成年パンダの体重はなんと150キロ。担ぎあげれば何人もの力を必要とする」と衡毅さんは笑って言った。

5月13日の朝、研究センターの職員は2組に分かれた。女性職員は臥竜鎮で留守番をして子パンダの世話をし、男性職員は朝食を済ませて研究センターに戻ることにした。研究センターまでの道のりはわずか7キロだが、なかなか進まなかった。道の両側は石がころがり落ちてくるため、職員たちは少しも油断せず、立ち止まらなかった。

その後の数日間、研究センターの災害後の復旧業務は秩序立って行われた。5月14日、臥竜に着いた最初のヘリコプターは条件が悪いため着陸せず、物資を降ろして離れた。翌日、ヘリコプターは着陸に成功した。16日、臥竜は正式に外部と連絡を取った。17日、臥竜と外部との陸路交通が一応回復した。

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