張芸謀の娘の張末
家庭の危機、張芸謀は娘のために鞏俐と別れる
米国で高校生活を送っていた頃、張末はインタビューの中で、次のように鞏俐を公に非難したことがある。「父と母が結婚した時、父には何もなかった。母が全力でサポートしたからこそ、父は仕事で成功を収めることができた。父と鞏俐が付き合っていた頃、私はまだ幼かったので彼らのことはよく分からなかった。だが、鞏俐が原因で誰もがみな子ども時代に得られる楽しみを味わえなかったばかりか、紆余曲折を経験することになった。鞏俐ほどの大スターが父と付き合っていた当時、なぜ私という唯一の娘をこのように敵視し、私たち父娘が触れ合う全ての機会を奪ったのか、今でもよく分からない」。さらに、自著『我的父親母親』の中でも両親の生活について記し、鞏俐は十分不愉快な存在だったと振り返っている。
また、こうした事情をよく知る人によると、当時、張芸謀と鞏俐は毎日電話で連絡を取り合っていた。ある日、張芸謀が現場で撮影に取り組んでいた時、鞏俐から電話が掛かってきたが、手が離せないので夜彼の部屋に掛け直すよう話した。その夜、鞏俐は電話を掛け続けたが、通話中のため2時間余りつながらなかった。鞏俐は苛立ち、張芸謀と張末が話しているにちがいないと疑い、ようやく電話が通じると張芸謀に対し激昂した。この件以降、張芸謀は冷静に時間をかけて考え、鞏俐は自分の妻としても娘の母親としても相応しくないと判断し、別れることを決意したという。
「チャイナネット」 2009年9月4日
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