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日中3000年来の交流へ橋渡し──わが身、燃やし続けて
発信時間: 2008-02-25 | チャイナネット


南京大学日本語学部外教専家・斎藤文男。日本では一途に新聞記者をした後、中国の大学の教壇に立って7年目になった。新聞社を定年退職する時、最後の記事のコラムで次のように書いた。

アメにも負けず/ムチにも負けず/夜討ち朝駆けにも負けぬ丈夫な体をもち/休みはなく/決してあわてず/いつも静かに走ってる/1日に特ダネ1本と少しの話題ものを送り/あらゆる手柄を自分を勘定に入れずに/よく見聞きし忘れず/東京本社の末端の前線にいて/東にダイオキシンあれば行って取材し/西に飛行機事故あれば現場に駆けつけ/南にマムシの赤ちゃん生まれれば行って写真に撮り/北に虫や鳥がいればヒトを怖がらなくてもいいと言い/ひどい待遇には涙をかくし/単身赴任の生活にはおろおろ炊事し/みんなにボクタクといわれ/十霜栄転出世なきにもめげず/苦にもせず/そういう記者に/私はなりたかった/新聞記者35年。悔いなし。転勤7回。すべての地が故郷になった。6月で定年退職します。この経験を中国で大学生たちに伝えることになりました。新しきを彼らから学び、いつか報告します。再見!【斎藤文男】

(2001年5月28日、毎日新聞さいたま版「記者日記」から)

今、ここにその報告をしたい。教壇に立ったのは50数年ぶりである。小学校の時、宿題を忘れた罰として前に出て歌を歌わされた。あるときは、いたずらをして授業中、黒板の前に立たされた。それ以来のことだ。

中国の学生はかなりまじめで優秀な人が多い。小・中学校時代は遊びまわっていた私とは違って、常にトップクラスの成績で、初中(中学校)、高中(高校)になっても一心に大学入学のために励んできた。しかし、大学に入ってみると、自分よりもさらに成績のよい人が多く、急に自信をなくす人もいる。

「写作」(作文)の授業で「私のどん底」という題を出した。優秀な学生たちには、これまでどん底の経験はないだろうと考え、人生は失敗から学ぶことが多くあることを知ってほしいと思ったからだ。しかし、ほとんどの学生がどん底を経験していた。大半は大学受験前の高中時代に、成績の下がったことが自分のどん底だったという。この他、憧れていた大学生活が想像と違った時、好きな女性をめぐってライバルと葛藤していた時、などさまざまあった。両親や先生、友人らの支援、アドバイスを受け、全員がどん底から脱出し、この時の経験が今の自分に役立っている、と書いていたのは心強く感じた。

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