100点の作文と小論文
想像力を働かせてもらおうと「さよならと再見」というあえて抽象的な題を出した作文で、思わず100点をつけたものがあった。小学校の時、教室に日本人の訪中団が訪れ、書道活動で「一衣帯水」という字を書いた体験だった。緊張して力が入り、途中で紙が破れた。恥ずかしくて、下を向いて真っ赤になった。そばにいた日本人がほほ笑みながら、新しい紙を持ってきてくれた。今度は一気呵成に書き成功した。別れるとき、唯一できる日本語で「さよなら」と言った。日本人は、私が日本語をできることに驚いて「再見」と言った。みんながどっと笑った、という内容だった。日本語の表現や助詞の使い方が少し適切でないものがあったが、具体的な体験内容で、読んでいてその場面が目に浮かんできた。これだけ文章力のある彼女が卒業後、日本語とは直接関係ない金融機関に就職したのは残念だった。
大学院生の期末試験の小論文でも「日本・中国と私」と抽象的なテーマにした。「雪月花」という日本語が、白居易の詩に由来していることを発見した感動を見事な日本語で書いていた。「う~ん、うまい」と、100点満点をつけようと思ったが、2個所の助詞を直したので98点とした。このような素晴らしい文章に出会うと、嬉しくなって添削、採点に時間がかかることなどすっかり忘れる。
ほかの授業では、中国語の歌詞に訳された日本の歌を教材にしている。「北国の春」「花」「里の秋」の中国語訳は、日本語の歌詞内容と大きく異なっている。「北国の春」はいくつもの中国語訳があるが、「花」「里の秋」などは、男女の恋心の歌詞に変わっている。
ハーモニカや二胡でメロディーを演奏した後、日中両国語で学生と一緒に歌い、歌詞の違いや歌の背景を説明する。教壇で歌うのは小学校の時以来だ。あの時歌った経験が、まさか半世紀後に外国の大学で役立つとは泉下の恩師も思わなかっただろう。
南京の日本商工クラブ総会でハーモニカ演奏する斎藤氏(左。右は斎藤氏の二胡の師匠・董金明氏)
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