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中国自動車産業の30年間の移り変わり
発信時間: 2008-03-31 | チャイナネット

1996年に最初の乗用車を生産するために、奇瑞は2500万ドルでイギリスのフォード社からエンジンと生産ライン1本を導入した。導入は「製品完成プロジェクト」としての契約だったため、イギリスは20名余りの技術者を派遣して、その備え付けをした。しかし、これらの人々はしっかり仕事をしない上に、技術も非常に複雑で、難度も高いため、間もなく手のつけられない状態にまで陥った。尹同耀さんはひたすら待ち続けるこの状態に耐えかね、熟考を重ねたのち、イギリスの技術者たちを帰国させ、自分でこのプロジェクトを担当した。蕪湖市の詹夏来書記は尹同耀さんに「もし失敗したら、どうするのか」と厳しい表情で問い詰めたが、尹同耀さんはすぐさま「失敗したら、長江に跳び込みます」と答えたという。1999年5月18日、想像以上の困難をとうとう乗り越えて、奇瑞の最初のエンジンが完成し、起動した。生産ラインのすべてが据え付けられたとき、イギリス人の契約不履行によって差し押さえた400万ドルはまだ使い終えていなかった。

融通性のあるメガニズムが民営自動車企業の成功をもたらした。2007年、中国自社開発ブランドの乗用車の売り上げは124万台で、乗用車売り上げ総台数の26%を占めた。自動車販売台数による中国ブランドの車種別売り上げランキングは、夏利、奇瑞QQ、福美来、旗雲、比亜迪F3、駿捷、自由艦、奇瑞A5、奔奔、金剛である。この十大国内ブランドで国産ブランド自動車総販売台数の72%を占めている。

中国の民族系自動車工業は間違いなく相当な潜在力がある。世界の自動車工業の巨頭と同じ舞台にのぼるのと同時に、中国自動車産業の巨頭となるのが、中国自動車業界人の最大の夢である。この夢はいつ実現できるかが、次の30年間のテーマになるのかもしれない。

「中国画報」より2008年3月31日

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