日本緊急援助隊の第1陣は16日未明、北京経由で成都に到着。援助隊は昼夜兼行で当日の午後3時半頃に被災地に到着した。これは汶川大地震後の被災現場に到着した最初の外国援助隊であり、新中国成立以来、最初に迎える国際援助隊でもある。
16日午後、援助隊隊員の中島康さんおよびその同僚らは青川県喬荘鎮の倒壊した6階建ての社宅の現場に行った。目に入るすべてが痛ましい現場を前にして、被災現場には慣れている日本の援助隊員も驚いた。 「日本ではこんなに痛ましい捜索現場を見たことがない」と中島さんは記者に話してくれた。オレンジと青色の制服を着た隊員らは直ちに瓦礫(がれき)の山となった倒壊現場で力の限りを尽くして捜索活動を始めた。周囲にはひび割れた壁があり、度々発生する余震で、明らかな揺れを感じるほか、道の両側の建物から落ちる建材の残りかすが出す音が聞こえる。
援助隊の標準的な救援手順では、まず電磁波を使って生命の兆候を測定し、その後再度、二酸化炭素探査装置で生存者の位置を確定する。隊員らは捜索範囲を決めて捜索を開始したが、夕方までかけても生命探査装置に生命反応は測定できなかった。捜索は3チームのローテーションを組んで徹夜で行われた。現場では、特別照明用の懐中電灯、ロープ、サーチライト、生命探査装置、小型機器などがかわるがわる使われ、漆黒の夜空のもと、日本人隊員の救援活動はまるで希望の光を発しているようだ。
|