中日両国の民間往来と民間交流の規模も拡大している。1970年代の中日国交正常化初期には、両国の人的往来は1年間でわずか1000人余りであったが、06年までに延べ480万人を超えた。中国と日本は互いに自国へ入国する旅客の巨大供給源である。両国の友好都市は233組に達している。そのほか、日本の対中経済援助も中日両国の経済交流とその発展を促した。1979年12月5日、当時の大平正芳首相が訪中し中国側に低利の第1次円借款を提供することを約束した。この政府開発援助(ODA)の実施から今日まで、日本が中国に対して提供した有償あるいは無償の経済援助は300億ドル以上(大部分は低利円借款だが技術援助と無償資金援助も含む)に達し、中国の経済発展にとって一定の貢献を果たした。中国に対する日本のODAは、日本企業の対中輸出と対中投資も促し、日本企業にとって中国市場の開拓は案内役、推進役としての役目を具えている。
08年4月20日、北京国際モーターショーでメディアに向けトヨタブランドをPRするトヨタ自動車の渡辺捷昭社長。長い間、日本車は中国の自動車市場で大きなシェアを占めている。(撮影・魏尭)
3、 金融分野
中日両国には金融分野で多くの共通性があり、これが、両国が金融分野において共通の利益を数多く持つことを決定付けている。08年2月末、日本の外貨準備高は1兆79億8000万ドルに達し、中国に続いて外貨準備高が1兆ドルを超す2番目の国となった。中国国家外国為替管理局が発表した数字では、08年3月に中国の外貨準備高は1兆6821億7700万ドルに達した。中日両国はいずれも大量の外貨準備を米国の国債や金融商品の購入、米国への証券投資などに当てている。このため、中日両国は共通の金融リスクに直面していることになる。
日本円は一時期強い勢いを見せたことがあるが、米ドルやユーロの政策的な圧力を受けたことによって、日本円の影響力は限られたものとなった。人民元は、完全に開放して自由兌換ができるようにする実力と条件がまだない。このため、中日両国の通貨は今後、かなり長期にわたって米ドル、ユーロの制約を受け、世界の主要通貨としての利益を享受するのは難しい。そこで、中日両国が通貨統合を実現し、アジア圓体制を樹立することがすでに中日両国とアジア諸国がドル・ユーロ通貨体制の圧力から脱するための喫緊の課題となっている。
歴史的に見ると、中日両国は似たような金融リスクと外圧に直面している。1997年から98年にかけての東アジア金融危機の際、中日両国はともに被害国となり、ドル・ユーロの独占的な国際金融資本やヘッジファンドなどの投機や市場操作による金融圧力に直面しただけでなく、米国をはじめとする国際通貨基金(IMF)などの外圧に遭い、国の金融の安全が厳しい試練に直面した。かくも強大な国際勢力と向き合うには、中日を含むいかなるアジアの国も単独で対応する力はなく、団結してこそ活路が開ける。
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