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新しい角度で見た中日関係:君子も「銭」を語るべし
発信時間: 2008-12-02 | チャイナネット

しかし、「改革・開放」前の「銭」の現実的な意味から言えば、第一に、都市の住民にとっては、全国の労働賃金がきちんと画一化された、差のない単調な時代であり、「銭」の重要性はすでに大いに値引きされていた。第二に、物資が欠乏した結果、手形が横行し、「銭」だけでは商品交換を完成させることができず、「銭」の神通力は大きく毀損されていた。

欲望がなくなれば、聖人に近づく。だからその当時の中国人はそれが故に、一部の日本の理想主義者たちから賞賛された。1960、70年代の中国を研究するある日本の学者が「人民帽をかぶり、毛沢東語録の歌を歌う」中国人民が大好きだったことをはっきり覚えている。なぜなら彼らは「銭」を愛することがあまりなかったからだった。

役割果たした日本のODA

2007年8月8日、中国の博奇環保科技公司が中国企業としては初めて東証に上場し、「鏡開き」をして祝った

しかし、時代は発展している。鄧小平氏が「祖国の南海のほとりに一つの丸を書いて」深圳経済特区を定めてから、「改革・開放」の潮が湧き上がり、荒廃から再興しようとする中国は、離陸のために資金を調達し始めた。「銭」、とりわけ「外国の銭」をどう調達するかが、中国人の前に出現したもっとも実際的な難問となった。

1978年、3年の苦しい努力の末、中日間で『中日平和友好条約』が調印され、これと同時に日本の対中ODAが、まるで「雪中に炭を送る」のように、中国経済の中に注入された。「銭」もサイズの大きい「資金」として、中日関係が発展する中で、経済の基礎を固め、政治関係を安定させる重要な作用を果たした。

月日の経つのは速い。21世紀になると、中国は、「改革・開放」30年の蓄積を経て、「貧困から脱却」し始め、いくらか「銭」を持つようになった。一人当たりのGDP(国内総生産)は、日本にはるかに及ばないし、多くの遅れた地域が存在してはいるが、北京は物産が豊かになり、上海は繁栄し、広州は華やかになった。そのうえ人民元はますます強くなり、人々の実際の購買力はすごい。こうしたことで、一部の日本人が、少し居心地が悪く感じているのは確かだろう。

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