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『白毛女』が結んだ周恩来と松山バレエ団の深い友情
発信時間: 2009-03-20 | チャイナネット

 

日本松山バレエ団が演じた『白毛女』の舞台写真

 

1972年、上海バレエ団が訪日公演を行った。松山バレエ団は彼らのためにすべての練習場を開放し、できる限りの便を図った。しかも、松山バレエ団の第一舞踊手である清水哲太郎と森下洋子らは上海バレエ団の毎回の公演にメイクを整えて楽屋で待機し、万一何かが発生したときにいつでもカバーできるようにしていたという。これを聞いた周恩来は、北京で清水正夫らを招待した際にお礼を述べ、さらに在席していたすべての人に向かって、松山樹子はバレエを改革刷新した創始者であることを忘れてはならないと話した。周恩来の細やかな心配りと公正な評価に、清水正夫や松山樹子をはじめとする松山バレエ団は深く感動した。

 

周恩来の推薦と宣伝によって松山バレエ団の評判と影響力はますます高まり、理事長兼団長である清水正夫は日中友好協会の理事長にも選ばれた。清水正夫はいつも近くの友人に「周総理を思い出すたびに中国人が好きになる」と語っていたという。

 

「恩来が去った今、私が代わりを務める」

1976年1月、周恩来がこの世を去った。松山バレエ団は悲しみにくれたが、自分たちのことを常に配慮してくれた周総理を想って『白毛女』の稽古に励み、1978年に再び訪中公演を行った。人民大会堂で行われたレセプションには王昆、田華、松山樹子のほか、次世代の森下洋子も加わり、中日の「白毛女」が再び一堂に会した。周恩来夫人の鄧穎超もお祝いに駆けつけ、「恩来が去った今、私が代わりを務めます」と言った。

 

鄧穎超は4人の「白毛女」を中南海の西花庁に招待し、彼女たちの芸術活動を高く評価したうえ、仕事や生活についても気遣った。

(文中敬称略)

「チャイナネット」2009年3月20日

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