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日本語教育と就職支援を通じて日中両国で活躍する人材を育成する王暁敏さん
発信時間: 2009-06-16 | チャイナネット

王暁敏さん、愛聖教育学院専務理事  1987年12月来日。ISB専門学校を卒業後、91年4月に(株)日商インターライフに就職。社長室の統括として国際貿易総担当を経た後、01年に起業。現在、中国宮廷薬膳料理「アイニンファンファン」のオーナー、愛聖教育学院専務理事、NPO法人日中鴻園産学交流機構専務理事をつとめる。

 

王暁敏さんは各界の著名人を唸らせる中国宮廷薬膳料理「アイニンファンファン」を営む一方で、学校経営にチャレンジをしている。そして、その学校では日中間の架け橋となる人材、中国ビジネスを推進できる青年実業家の育成を目指しており、従来の日本語学校とは一線を画したスタイルを貫いているという。いったい、それはどういうものなのか。さっそく、王さんに聞いてみた。

 

取材は、張国清中国国際放送局東京支局長である。この記事は東方通信社発行の月刊誌・「コロンブス」2009年5月号に掲載されている。

 

張:王さんはいつ来日したのですか。

王:87年12月に祖父の友人を頼りに来日しました。その後、89年に日本の専門学校に入学し、卒業後は91年に上場会社(株)日商インターライフに入社しました。

 

張:どうして飲食店をはじめたのですか。

王:最初から飲食業に興味を持っていたわけではありませんでした。家族にも飲食業の経験がある人間はいませんでしたしね。ところが、あるひと言が私の人生を大きく変えたのです。ある日、日商インターライフが主催した忘年会で社長室のスタッフとして手伝っていたところ、ある人から「君は飲食業に向いているね」といわれたのです。実は学生時代に銀座の料亭でアルバイトをしていたときにも、同じようなことをいわれたことがあったので、非常にビックリしました。そして、そのときから飲食店経営を意識するようになったのです。

 

張:どんなタイミングで独立したのですか。

王:最初は社内の飲食事業を手伝おうと思っていたのですが、ちょうど会社が10数億円の損失を出してしまい、飲食業から撤退してしまったのです。そこで、自分で店を探して半蔵門の皇居近くに中国宮廷料理の店を出しました。200坪近くある店で、メインホール、ダイニング、個室があります。当初は「あまりに広すぎる」と、日商インターライフの天井次夫社長をはじめ、皆さんに反対されました。しかし、私にはたんなる料理店ではなく、一種の「日中の交流の場」にしたいという思いがあったので、自分の意志を貫き通すことにしました。今でも政財界の方々の応援もあって、順調に経営をつづけることができています。

 

張:王さんは教育事業にも力を入れているそうですが、なぜ教育事業に進出しようと考えたのですか。

王:21世紀はアジアの時代といわれています。今はきびしい経済状況にありますが、こういうときこそ、日中両国の関係をうまく築く必要があるはずです。

では、どうすればいいのか。いうまでもなく、企業発展の礎は人材育成です。欧米諸国は中国やインドの優秀な人材の確保に向けさまざまな手を打っていますが、日本はかなり遅れをとっているように思います。一方で、中国の多くの青年は欧米に目を向けており、日本に対してはそれほど関心を持っていません。そこで、私は10年間の社会人経験から学んだことを、中国人留学生に伝えていきたいと思うようになったのです。実際、今の私があるのは日本で大変素晴らしい方々に会うことができたからです。それに、私は中国で教師をしていたことがあって、もともと教育には興味があったのです。

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