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日本で起業する「80後」華人逆境から奮起した衡さん
発信時間: 2009-06-15 | チャイナネット

文=李春雁 孫輝

日本でたくましく成長を遂げる若い華人起業家たちには、それぞれドラマがある。彼らが経験した起業の苦労、成功の喜び、努力の苦しみ、失敗の辛さは、いずれも人々の心をとらえ、深く考えさせるだろう。日本の中国語総合新聞『中文導報』は数人の若い起業家を取材しその姿を伝えた。

 

1. 逆境から奮起した起業家

2006年、当時まだ30歳になっていなかった衡徳凱さんは会社を興した。それから3年経った今、中日両国に会社3社と従業員60名を擁し、成功を収めたCEOとして活躍している。意欲に満ち溢れ、気さくで話し上手なその姿から若い非凡な才能と風格が感じられた。だが、起業までの道のりに話が及ぶと、衡さんは成功の裏にある他人には理解できない苦労について語ってくれた。

 

衡さんは2000年に留学のために来日し、一般の留学生と同様、まず日本語学校で勉強した。衡さんは江蘇省揚州出身。父親が民間企業の社長を務めていたので、家庭は経済的に恵まれていた。しかも、家族の中で唯一の男の子だったことから、小さい頃から可愛がられ、経済的な心配をする必要もなかった。だが、来日から1年も経たないうちに状況は一変。父親の会社が倒産したため、家からの経済的な援助が途絶えただけでなく、衡さんが借金返済の手助けをしなければならなくなった。その時、衡さんは初めて長男としての責任を感じ、瞬く間に大人へと成長したという。それから1年間、毎日10時間以上アルバイトをこなし、バイト代から生活費と学費を差し引いた残りを実家に送金し、その他の全ての時間を受験勉強に充て必死に勉強した。わずか数カ月で体重は13キロも激減。衡さんが帰国した時、家族はその姿を見て心を痛め、涙を流した。このような状況にありながら努力が実を結び、2002年に埼玉大学に合格した。

 

大学入学後、成績優秀者として学費が免除され奨学金も受給できたので、経済的負担はかなり軽くなった。4年生進級を目前に控えた頃、学生は就職活動をスタート。衡さんは修士、博士課程と続く大学院に合格し、大企業からも就職内定を得た。よく考えた末、大学院進学を取りやめ、4年生後期からこの大企業で働き始めた。ここで衡さんは横山さんと親しくなった。2006年には、ともに退職した横山さんともう1人の中国人の友人と1社目の会社を設立した。

衡さんが最初に設立した「日之泉株式会社」は、高付加価値加工食品の輸入代行業務を主に手掛けている。会社設立当初、誇らしい気分で一杯の衡さんは、大きなビジネスに備えていたが、市場で出鼻をくじかれるとは予想すらしていなかった。

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