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読者の投稿:富士登山紀行
発信時間: 2009-10-15 | チャイナネット

団体一行様は2名を離団したほか、全員山頂を目指そうとしており、心の中で、もう無理しないでここでゆっくりしようかという思いと、ここまで来たら、今回諦めたら、もう次回の機会はなくなり、きっと後悔するぞという思いが交互に戦って、最後に歯をくいしばってでも、行けるところまで行こうと決めた。

夏休み終了前の週末でもあり、約万人ぐらいの人々が真っ暗のなかでヘットライトの光で山の下から山の上までそして自分の周りでも点滅し、長い蛇のような列は何とも言えないような凄く感動的な風景であった。

体力を温存しながらとにかく一歩ずつゆっくりと、ひたすら上へ上へと歩いた。夜中2-3時頃はもう何度も居眠りしながら登っている自分に気付いていたが、できるだけ谷側を避けて、山側へ寄るようにして、もう永遠に歩かなければ、辿りつかないような気の遠い思いがした。一人だったら、もうとっくにギブアップしただろうと、そんな風に1時間、また1時間が立ち、どんなふうに9合目を登っていたか、忘れたぐらい、一歩また一歩と機械的に足を運んだ。

当日は万人以上登っているそうだ、頂上ではごった返し

こうして朝4時30頃か、吉田登山ルートで最後の一番の難関の岩場登りの前で、大渋滞が発生し、これまでの秩序がなくなり、ガイドさんからも先に乗れる人は右側をどんどん登ってよいと、みな一斉に我が先にという興奮状態になった、ご来光がもう少しで、間に合わなくなる焦りがあったから、ここまで合算して10時間以上歩いたから、何とか頂上で日の出を迎えたく、自分も信じられないほど渾身の力を使って、必死に登りに登り、ようやく夜明け前の10分前に頂上に辿り着いた。もう目の前にご来光を待つ人々でごった返し、人々の色とりどりのレインコード姿が黒山の肌を飾っている。ああ、つい来たぞ、富士山の頂上に!日本の最高峰に登りきった感動はもう2度と味わえないものであった。

天期予報は雨で、実際河口湖周辺も雨が降ったそうだが、海抜3760mの上は、快晴そのもの。雲海が下、朝靄のなか、薄紅の空がだんだんと明るくなり、日が雲から顔を表した瞬間に神秘な頂上が朝日の優しい光を浴び始め、神聖で最高な景色であった。

あちら、こちらのグループから、バンザイの声が聞こえた。左側の美しい風景とは正反対に真中の火山口の山肌は荒れたもので、これまた見たことのないような凄い風景であった。これが富士山の本当の姿である。富士山は遠くから見るのが奇麗だと言われた故が分かった気がする。だが、自然のままの姿は一見する価値はある。そのために、鉢巡りをするコースもあり、所要時間約一時間以上で、山の規模の大きさを物語っている。

ところで、下山には更に5時間を要する。覚悟はあるものの、いざ歩き出して、8合目当たりに降りてから、もう足ががたがたとなり、これ以降はもう思い出したくないぐらい、それは大変、大変な下山道であった…多分ツアの名前の通り、一生に一度の富士登山であろう。

女性ガイドがこの夏休みで20回も登り、多い時は8日連続して、登山者を頂上へ連れて行ったと聞いた時は、日本の女性は外観と違って何と芯が強いなとすっかり感心してしまった。

現実社会に戻ったころは、ちょうど日本社会に歴史的な大変化をもたらした投票、開票の最中であった。

(筆者は現在、日本の商社に勤めている。写真提供も筆者)

「チャイナネット」 2009年10月15日

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