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読者の投稿:「2012」を見た感想――寂しい社会
発信時間: 2009-11-26 | チャイナネット

早いものでニュースにはもう年末年始の話題が出るが、特にわたくしの目に留まったのは、近頃公開された「2012」というハリウッド映画である。映画の内容について詳しくは知らないし、敢えて調べる気にもならないが、世界終末の予言に基づく所謂「パニック映画」というものらしい。

もともと小心者のわたくしは、この手の映画が大の苦手である。大地が割れ、巨大津波が襲い、高層建築物が次々と倒れ、人々が先を争い逃げ惑う、こんな光景を大画面で見たら、その夜は間違いなく悪夢で魘されるだろう。それに地震多発国の日本で生まれ育ったわたくしとしては、大災害をとても他人事とは思えない。だから、こうした映画で楽しむことは無論、何がしかの感動を味わう余裕すらないのである。

しかも、中国に住んでいると、大規模な自然災害や産業事故、交通事故などのニュースを一日として耳にしない日はない。無残に破壊されつくした現場、おびただしい死亡者、被害者の苦痛、家族の悲痛な叫び、これらを画像を通してとはいえ日々生々しく目の当たりにしては、尚更虚像の災害などを敢えて見る気持ちにはなれない。

とりわけ、わたくしの記憶には昨年の5.12大地震の衝撃がまだ強く残っている。無造作にテレビで放映される映画予告の、あまりにも悲惨でリアルな崩壊シーンは、わたくしに無残に破壊された校舎に埋もれた子供たちの姿をありありと連想させた。何も善人ぶるわけではないが、「2012」は、わたくしの神経ではとても見るに耐えられない代物である。

もちろん、この映画の公開に当たっては、中国でも是非の議論があったようだ。しかし、わたくしの知るごく狭い範囲では、反対者の論拠は「子供が怖がる」程度であっり、毎年のように起こる大規模災害で深い傷を負った膨大な数の同胞に対する社会的配慮というのは、なかったようである。仮にそのような声があったとしても、公開に至った以上、公開しても差し支えないとする声の方が、結局多数を占めたのだろう。

その判断について、わたくしは批判するつもりはない。しかし、寂しいと思う。あの映画をよしとする多数の人々の歓声、そして映画によってもたらされるであろう巨大な経済利益が、無言の悲しみをいとも軽く踏みにじって通り過ぎる様子は、現実の廃墟の光景よりも遙かにわたくしを寂しくさせる。

たかが映画である。禁止せよとまでは言わないが、もう少し時間をおいて公開してもいいと思う。あの地震で家族も家も財産も瞬時に失った人々が、一年余り経た現在、それぞれ未来に向けて明るく歩み出しているとしても、心の奥底に深く刻まれた傷はそう簡単に消え去るものではない。そして、それを癒すことができないわたくしたちは、せめて彼らを少し思いやる気持ち、例えば、見たい映画をちょと我慢するくらいの気遣いがあってもいいのではないか。そうでなければ、同じ社会に共に生きる者として、あまりに寂しくないだろうか。

わたくしは現在広州に住んでいる。広州はにぎやかな街だが、その中にあって、わたくしがふと寂しさを覚える場所は「烈士陵園」だ。夕暮れ時、陵園の奥が静かな闇に沈む頃、門の脇に華やかな酒場のネオンが点る。その前を無関心に通り過ぎる無数の人々と車の列を見て、わたくしは無性に寂しくなる。祖国の為に命を捧げた方々に、せめて夜ぐらい静かに眠らせてあげる思いやりが、この社会には存在しないのだろうか。

時の流れと繁栄の陰に忘れ去られていく人々、平穏な日常に退屈し次々と享楽的な刺激を求める世情に翻弄され置き捨てられる人々、巨大な変化を遂げつつある現代中国の片隅で、わたくしは時に、どうしようもない寂しさを噛みしめる。(文=宮田聡美)

「チャイナネット」  2009年11月26日

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