「花岡事件」の平和記念館が大館市に完成

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発信時間: 2010-04-19 16:56:44 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「花岡事件」の犠牲者を記念して建てられた花岡平和記念館が17日、秋田県大館市に開館した。45年を経て日本政府はやっと1945年に発生した「花岡事件」を正視したことになる。日本側の代表で大館市の小畑元市長は、この歴史の事実に次の世代に伝えなければならないと述べた。

花岡平和記念館は、「花岡事件」で亡くなった418人の労働者と、奴隷のようにこき使われで死んでいった中国の労働者を記念して建設されたものだ。

1945年6月30日夜、強制連行された700人の中国人労働者は、鹿島組(今の鹿島建設株式会社)の残酷な虐待に耐えられず、現場監督を殺害して中山寮近くの獅子ヶ森に逃げた。この蜂起は政府や民間を驚愕させ、出動した2万人の警察が中国人労働者を捕らえて銃殺。翌日に生き残った中国人労働者は全て捕虜になり、あわせて418人が日本で命を落とした。

大館市では1985年から「花岡事件」が発生した6月30日を「平和記念日」と決め、市役所で中国国旗を掲揚し、亡くなった中国人労働者の慰霊式や様々な記念活動を実施している。

花岡平和記念館の館名を書いたのは、在日本中国大使館の程永華大使。17日の開館式では薛剣参事官が「花岡平和記念館の建設は、『花岡事件』で殺害された中国人労働者や家族、支援してきた人の長年の願いであり、中日双方の今までの努力の末についに実現した。この記念館は、ある一定の度合いで亡くなった中国人労働者の魂を癒し、この記念館を通してさらに今後の活動がより正義を増し、侵略を反省し、両国民の友好が盛んになると信じている」とあいさつした。

小畑元市長は、「花岡事件」での日本の非人道的な行為は絶対に許すことはできないし、これから日本はこのような過ちを二度と繰り返してはならず、若い世代に過去の事実を伝えなければならないと話し、日本で永眠した中国人労働者たちが安らかに眠ることを祈り、日中両国が永遠に平和で友好的であることを願った。

この記念館には、当時、強制連行された中国人労働者たちが受けた残酷で非人道的な待遇を記録した詳細な資料や絵が展示されている。

開館式には中国大使館の薛剣参事官、「花岡事件」で幸いに生き残った李鉄垂さん、3人の遺族、社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相、佐竹敬久・秋田県知事、小畑元・大館市長など約100人が参加した。

「中国網日本語版」(チャイナネット) 2010年4月19日

 

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