東京経済大学 周牧之
2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故発生後、日本で働いたり学んだりしていた外国人がどっと日本を離れた。事故直後、東京から海外向けの航空券は暴騰し、入手できなかった人々は仕方なく名古屋、大阪、福岡など国内を南下することで脱出をはかった。多くの外国企業の支店も、東京を離れて香港、台北、シンガポールなどへと撤退、一時期これらの国・地域のホテルは東京からやってきた人々でパンク状態に陥った。
外国人留学生も大量に帰国していった。東京の各大学は本来4月だった新学期を一カ月後の5月に延期したものの、なお大勢の留学生が休学あるいは退学の手続きを取り、学校を後にした。
これにより、中国で近年新たに沸き起こっていた日本留学熱も相当長い間中断されるに違いないと予測していたが、夏休みに中国に戻ってみたところ、 思いがけず大勢の人から日本留学の相談を受けた。さらに驚いたのはそのうちの多くが日本語専攻の学生ではなく、なかには欧米の名門校への留学条件を満たしている若者たちもいたことだ。彼らが自学自習で身につけた日本語の力は相当高いレベルにあり、日本語能力試験最高レベルの1級をすでに突破している人もいた。
留学の動機を突き詰めてみると皆が異口同音に日本のアニメ、音楽、小説、スターのファンであり、また各種多彩な日本製品が好きだからと明かした。
確かにここ数年、日本のコンテンツは中国の若者に大人気だ。例えば北京の西単にある大型書店に行くと、推薦書棚に並ぶ外国小説のうち3分の2を日本小説が占めている。川端康成、夏目漱石といった純文学の古典から、山岡荘八、村上春樹、渡辺淳一、東野圭吾ら現代作家の名作に加え、いま売れ筋の新鋭の作品も数多く見られる。日本の文学作品はいまや疑い無く中国で幅広い読者を獲得している。
改革・開放初期、「君よ憤怒の河を渉れ」、「サンダカン八番娼館 望郷 」、「幸福の黄色いハンカチ」、「赤い疑惑」、「おしん」、「サインはV」など大量の日本映画やテレビドラマが中国で一世を風靡し、高倉健、中野良子、栗原小巻、山口百恵、田中裕子ら日本の映画スターや歌手が中国の追っかけブームの先駆けを作った。「鉄腕アトム」、「一休さん」、「ドラえもん」、「聖闘士星矢」など日本のアニメ作品は、中国の青少年たちの成長と常に共にあったといっていい。
しかしながらその後、輸入規制により、日本のアニメや映画は現在、中国の映画館やテレビでの正規の放映が困難を極め、日本のスターの影も次第に薄まった。
この状況を一変させたのがインターネットである。今日、中国の若者の大半がネットを通じて日本の映像作品を鑑賞している。ニューメディアは静かに新世代の間に新たな日本のアニメ、音楽、映像作品そして留学ブームを引き起こした。若者たちの中には、親世代が名前さえ知らない日本のスターの追っかけのために、日本留学を決意する者さえ出てきた。
海外旅行が解禁されて間もない頃の中国で、日本は渡航先として人気が無かった。皆が欧米社会の目新しさと多彩さに向かった。しかし、ここ数年突如として日本ブームが起こり、大勢の旅行客が日本にどっと押し寄せ、観光や買い物を楽しむようになった。大陸から来訪する豪快な購買客は、日本社会を大いに驚かせている。
2010年に開催された上海万博の会場で、作家の堺屋太一がプロデュースし運営を担った日本産業館は、日本の生活商品を展示して日々大勢の来場客で賑わい、予想以上の成功を収めた。
過去十数年、個人資産がほとんど無いに等しかった中国が一瞬にしてマイカー、マイホームの社会に突入し、人々は新しい生活モデルと、品質の豊かさとを求め始めた。半世紀先んじて現代社会の豊かさを享受してきた日本に新しい魅力を感じるからである。
中国第1の日本留学ブームは日清戦争直後に起こった。明治維新の僅か数十年の間に、貧しい島国が新興列強の仲間入りを果たした事実は中国の当時のエリートたちを愕然とさせた。青年志士は大挙して日本に渡り、軍事、法制度にいたる様々について学び、今から100年前の辛亥革命を主導するに至った。
第2の日本留学ブームは、改革・開放後に始まった。戦後日本の高度経済成長と製造業の世界席巻が、中国の精鋭を日本に引き寄せた。日本で経済、産業、技術を学んだ留学生は、今日の中国の大発展に大いに貢献している。
ヨーロッパが大航海で得た暴利で生活革命を起こして以来、豊かになった国はすべて、生活水準を一気に引き上げる生活革命を経てきた。生活革命はまた押し並べて空前の国際交流をもたらしてきた。
今日、中国で起こった生活革命は、新たな日本留学熱を呼び起こし、ネットによって活性化された日中文化交流の波は、さらに膨張している。今回の日本留学ブームは日中両国社会の相互理解を促し、中国社会の生活レベルアップに寄与することは間違いない。
掲載誌:中国新華社『環球』雑誌2011年第20号
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年5月22日